実習での音声指導についての一考察 ―ゼロ初級クラスの場合―
1 はじめに
AET日本語研修コースでは、日本語を学習した経験のない学習者や、数週間の短期集中コースでの学習経験しかなく、ほとんど日本語を使えないレベルの学習者がいる。16時間という限られた実習時間の中で、そのような学習者を対象として何を目的として授業を行うのかを明確にすることは重要な問題である。今回の実習では、これから学習者が日本で生活していくことを考慮し、クラスで学習したことを実際の生活で活用できるような指導を行うことを目的とした。
実習を振り返ってみると、実習時間の少なさに加え実習生の経験不足も影響し、授業では必要な表現や文法事項、語彙などを教えることに重点が置かれ、「学習した事柄を、実際のコミュニケーションで使用できるように発話出来ているかどうか」という問題についてはほとんど配慮されていなかったように感じる。
しかし、短い授業時間の中で音声指導にかけられる時間はごくわずかである。そこで、本稿では実習で使用した「あさがお改訂版」をもとにゼロ初級クラス を対象とした授業を行った場合、英語を母語とした学習者の発話にはどのような特徴があったのか、またどのような指導が必要なのかを、単語レベルと文レベルに分けて考察する。
2 単語レベルでの問題
2-1 英語母語話者の発音の問題の傾向
『音声と音声教育』(1976)では、英語を母語とする学習者にとって、日本語の音声のどのような点が難しいのかを述べている。以下は、それらをまとめたものである。
@ 高低アクセントを聞き取ったり、発音したりすることが難しく、日本語にも強弱アクセントを持ち込む。また、強いアクセントを持つ音節は、弱いアクセントを持つ音節よりも長く発音する傾向がある。
A 弱いアクセントを持つ音節の母音があいまいになる傾向がある。
B /d/と/r/、/s/と/c/の違いを聞き取るのが困難であり、また発音も困難である。
C /N/の発音(特に母音の前)が困難である。(例:「ホンヲ」・「ホノ」)
D 促音の聞き取り、及び発音が困難である。
E 英語の/w/は日本語の/w/に比べ唇の狭めが強く、また時間的に長いため「ワ」が「ウワ」のように発音される。
F 母音の長短の違いを聞き取ることも、発音することも困難である。
G 英語では二重母音はあるが、連続する母音を2音節として発音することは原則としてないため、「愛」を「I」のように、「追う」を「owe」のように発音する傾向がある。
H 日本語の無声化した母音の聞き分け(例:「岸」と「櫛」)、及び発音が困難である。
I 英語の/t/は母音間で[d]、[r]に近く発音されることがあるため、「糸」が「イド」、「イロ」のように発音される傾向がある。
J 英語の/t/、/p/、/k/は音節頭で強い気音をともなって発音されるため、日本語でもそのように発音する傾向がある。
K 英語の/h/は日本語の/h/に比べて、/i/の前でも摩擦が少ないため、「人」が「イト」に近く発音されることがある。
L /ガ、ギ、グ、ゲ、ゴ/の鼻音化したものと、/ナ、ニ、ヌ、ネ、ノ/の聞き分けが困難である。また発音も「カギ」が「カンギ」のようになる傾向がある。
上記のように、英語を母語とする学習者が日本語で発話する際には様々な問題があり、実際に学習者の発話には上記のほとんど全ての特徴が見られた。しかし、それら全ての問題について指導を行うことは効率が悪く、また学習者の学習意欲を低下させる恐れもある。
単語レベルの問題によりコミュニケーションに問題が生じるパターンとしては、1、単語そのものが意味をなさなくなる場合(例:「フタツ」−「フトツ」)と、2、他の語句と偶然に一致、もしくはよく似ていたため、間違って解釈される場合(例:「ビヨウイン」−「ビョ−イン」)の二つが考えられる(土岐:1989)。これらを考慮した場合、E、Jのような問題は、実際のコミュニケーションで問題を引き起こす可能性は低いため、今回の実習クラスで積極的に訂正される必要のある問題ではないと考えられる(しかし、より学習レベルが進んだ場合には、このような問題により「外国人くさい」などという印象を持たれる可能性は当然ある。)。したがって教師は、指導するべき問題か、そうでない問題かを的確に判断し、効果的な指導を行う必要がある。
2-2 学習者の発音の問題点、及び教師の指導・訂正の問題点
ゼロ初級クラスで頻繁に見られた問題のうち、コミュニケーションに支障をきたす可能性が高いと考えられるものは主に以下の三つである。
@ 長音、促音の発音(例:「エーゴ」・「エゴ」、「ガッコー」・「ガコー」)
A 母音の発音(例:「エーゴ」・「イーゴ」、「〜デス」・「〜ダス」)
B 英語の固有名詞の発音
以下では、@の特殊拍の問題、Aの母音の問題、Bの外来語の問題それぞれについて、授業で行った指導について反省し、より効果的な指導はどのようなものかについて考察する。
@ 特殊拍の問題
ゼロ初級クラスでは、授業の一番最初に、ローマ字表記に慣れてもらうために地図を用いて地名を音読させるという練習を行った。その際、特殊拍を含んでいるかどうかを考慮して地名を選択した。長音の指導は、例えば/ohsutoraria/の場合は/h/の部分を隠して「オストラリア」と発音した後、/h/の部分を見せて「オーストラリア」と発音することにより、/h/がその部分の母音を伸ばして発音する印であることを示した@。促音の指導も、長音の場合と同様、/hokkaido/の場合は/k/を一つ隠して「ホカイドー」と発音した後、/k/の部分を見せて「ホッカイドー」と発音することにより、子音の連続が一拍待って発音する印であることを示した。
これらの指導は「教師が発音→学習者全員でリピート」という形で行ったが、学習者のリピートが思ったよりもスムーズであったため、教師は音読の練習を予定していた時間よりも大幅に早く切り上げてしまった。しかし、この練習の後でも学習者は「サトーサン」を「サトサン」などと発音しており、それに対して教師はほとんど指導を行っていない。
最初の授業で大幅に時間を割いて音読を行ったからといって、このような問題が解消されるとは考えにくい。しかし、「教師が発音→学習者全員でリピート」という練習の後、「教師が発音→学習者の一人がリピート」、さらに「教師が語を指し示す→学習者がリピート」というように、練習の形を発展させて音読をさせることで、この問題がもっと軽減した可能性がある。また、毎時間短い練習を頻繁に入れることが、このような発音を定着させる手助けとなる可能性は大きい。
促音の問題については青木(1989)に以下のような記述がある。
「…現代英語の綴りでは子音文字を二つ並べて書いた言葉は、matter、kipper、tennisなどのよ
うにa、i、eなどその前にくる母音の文字が短く発音されるということしか示していない。
…したがって、両者の差は[t]の長さにはなく、その前の母音文字の差にあることに注意すべきで
ある。」(p.231 一部省略)
したがって、教師は促音を導入する際には、学習者が子音の連続を、「一拍待って発音すること」を示すものと理解したかどうかを見極める必要があると考えられる。
A 母音の問題
実習期間内で、最も母音の発音が問題となると考えられたのは、数詞の発音である。「ヒトツ」、「フタツ」は子音の配列は全て同じであるため、聞き取り、発音共に困難だったようである。学習者はこれらを「ヒタツ」のように混同して発音することが多かった。
数詞は日本語でのコミュニケーションにおいて使用頻度が高く、また発音の間違いがコミュニケーションで問題を生じやすいと考えられる(例えば、ハンバーガーショップに行って「ポテトを一つ注文したつもりが二つ出てきてしまう、など)。したがって、このような語については適切な指導を行うべきである。
数詞の発音を指導する際に効果的であると考えられるのは、アクセント型を含めた指導である。日本語では、もちろん「箸」と「橋」のようにアクセントによる語の区別はあるが、実際にアクセントによってのみ意味の区別をされる語は多くない。したがって、このような短期間の授業でのアクセントの指導は、効率が悪く、必要性も低い。実際にクラスでもほとんど指導を行わなかった。しかし、「ヒトツ」、「フタツ」の区別に限っていえば、日本語母語話者は、例えばこれらの二つを混同した「ヒタツ」という発音を聞いたとき、中高で発音されれば「一つ」、尾高で発音されれば「二つ」と聞く可能性が高い。母音の発音のみにポイントを置いて練習を繰り返すよりも、手や黒板を用いて高さの違いをを示しながら練習を行う方がより効果的であると考えられる。
また、「エーゴ」と「エーガ」の混同など、学習者が使用する頻度が高い単語同士の混同などは、誤解の生じる可能性が高いため、ローマ字表記を板書して、/o/と/a/の違いによる意味の違いを説明するなどして、ある程度正確な発音を行えるように指導することが必要であると考えられる。
B 英語の固有名詞の発音の問題
外来語の発音の問題については(例:「カメラ」・「キャメラ」)、日本語母語話者は学習者の発話を聞き取れない場合、聞き返しなどを行って問題を解決することができるため、それほど大きな問題にはなりにくい。したがって、これらを時間を割いて繰り返し練習する必要性は低いと考えられる。
しかし、英語式の発音を行った際に問題であると感じたのは、学習者自身の名前が日本語の文中で不自然に早く発音され、また発音も英語そのものであるため、日本語母語話者が学習者の名前をほとんど聞き取れないことである。その点については第一課「自己紹介」の授業で、日本人がナチュラルスピードでの英語の固有名詞を聞き取ることは困難であることなどを説明し、名前をゆっくり発音するように指導した。しかしその後の授業でもその傾向は見られ、教師もそれに対して指導は行わなかった。
しかし、学習者が日本人に名前を名乗る機会は多く、また初対面でこのようなスピードで名前を名乗ることにより印象を悪くする可能性もなくはない。したがって、例えば教師が「私の名前は〜です」などの文中で学習者の名前を発話することにより、日本語での自然なスピードを示すなどして、適切な指導を行う必要がある。
学習者の単語の発音には様々な問題がある。しかし、例えば長音の発音の問題でも、「ドーゾヨロシク」を「ドゾヨロシク」と発音するなどコミュニケーションにほとんど支障のないレベルから、「トーイバショ(遠い場所)」を「トイバショ」と発音することによって意味が通じなくなるレベル、「ビヨウイン」と「ビョ−イン」と発音することによって誤解が生じてしまうレベルまで、その問題のレベルは様々である。限られた実習時間の中では、教師は、学習者の発音の誤りが「コミュニケーションに支障をきたす可能性が高いのか、低いのか」、また「この語は学習者が使用する頻度が高いのか、低いのか」を的確に判断し、効率良い指導を行う必要がある。
3 文レベルの問題
学習者に見られたイントネーションの主な問題点は、以下のものである。
@ 文末の上昇の仕方
A 平叙文での上昇
B 文の切れ目での上昇
これらの三つは、それぞれ似通った問題に見えるが、これらの起こる原因は様々である。以下では、これらの三つの問題が起こる原因、及びその訂正の仕方について考察する。
@ 文末の上昇の仕方の問題
日本語の疑問文の発話は、例えば「何を食べましたか」という文ならば「た」の部分までは緩やかに下降し、「か」の部分で上昇する、というように、文末の一拍のみが上昇する。しかし、英語の場合は日本語と異なり‘Can you speak English?’という疑問文ならば‘English’の部分全体が上昇し、‘lish’の部分など一音節のみが上昇することはない。そのため、学習者の発話は「何を食べましたか」という文ならば「食べましたか」の部分、または文全体が上昇してしまう傾向があった。
第一課「自己紹介」のダイアログでは「おくには」という疑問文があり、また文法項目として疑問を表す「〜か」を導入したのにも関わらず、学習者の疑問文のイントネーションについては第七課まで訂正されることがなかった。これは、教師が「上昇のイントネーションの仕方が多少不自然であっても、コミュニケーションにそれほど大きな問題は生じないであろう」と考えていたためである。
しかし、第七課の授業の際に、日本語と英語の疑問文の上昇の仕方を線で視覚的に示したところ、学習者はすぐにこれを理解し、2分ほどの説明を行っただけで、疑問文の発話はかなり自然になった。声の高さの指導でも、アクセントのように一語一語のアクセント型を習得するのが困難な問題とは異なり、このケースのように少しの説明で効果的な指導が行える場合がある。コミュニケーションに問題が生じにくい問題でも、短時間で効率良く指導できる問題ならば、教師は視覚情報を用いるなどして効果的な指導をすべきであると考えられる。
A 平叙文での上昇の問題
学習者の発話には、本来文末が下降するべき平叙文などが上昇してしまうケースが多く見られた。この要因としては、主に以下の二つが挙げられる。
1 学習者は導入されたばかりの文などを発話する際、自分の記憶をたどりながら発話するため、一文一文が自然と上昇してしまう。
2 平叙文の日本語に対し、英語訳が疑問文になっているため、学習者はその日本語を疑問文と解釈し、発話を上昇させてしまう。
1のケースは、実習期間全体にわたってかなり多く見られた。しかし学習者は、導入されて間もない頃は上昇の発話をしていた表現でも、定着してくると下降イントネーションで発話するようになっていた。したがって、これらの上昇は、導入された表現が定着すれば自然と直るため、それほど大きな問題ではなく、逐一訂正するべきものではないと考えられる。しかし、ダイアログの音読の際などにもイントネーションが下降するべき箇所で上昇している場合には、訂正をする必要があると考えられる。
2のケースは、相手の発話に対するあいづちである「そうですか」に対し、英語訳が‘really?’となっていたために起こったと考えられるものである。この場合の「そうですか」は、相手に情報要求を行うものではないため文末は下降するのが普通である。しかし、英語訳が‘really?’となっていることにより、学習者はこの「そうですか」を上昇イントネーションで発話していた。このような誤りは話者の意図しなかった意味や感情を伴って理解されてしまうため(この場合、上昇することで「疑問」、「疑い」などと解釈される可能性がある。)、誤解が生じる可能性がある。そのため、このような誤りに対しては、教師は的確な指導を行うべきである。
このケースでは、学習者はダイアログのリピートの際に、教師が「そうですか」を下降イントネーションで発話していることに気づき、自分で訂正を行っていた。したがって、文末の上昇・下降の聞き分けは学習者にとって困難なことではないと推測できる。しかし学習者は英語訳も参考にして日本語の発話を行っているため、このような混乱を防ぐためには、より適切な英語訳を考えるべきである。
B 文の切れ目での上昇の問題
経験の少ない教師は、例えば強調したい部分を上昇イントネーションで発話しがちである。これは例えば、「これ・それ・あれ」を導入する際に「コレハ(「ハ」を高く)ホンデス」、否定型を導入する際に「ヒマジャ(「ジャ」を高く)ナイデス」などのように発話してしまうものである。日本語ではこのようなイントネーションは不自然であり、「大人が小さい子どもに言い聞かせている」かのように聞こえてしまう。しかし教師は導入したい文法項目を理解させることにのみ気を取られ、このようなイントネーションの発話を行ってしまった。その結果学習者は教師のイントネーションを参考にして、教師と同様のイントネーションで発話してしまっていた。
強調したい部分について、教師が発話のある部分にプロミネンスを置くことは、新しい文法項目や語彙を導入する際よく見られることである。しかし、強調したい部分を上昇させたり、声を大きくすることなどは、教師の発音のみを頼りにしているゼロ初級の学習者の発話に影響しやすい。教師は導入の際、一度学習項目にプロミネンスを置いて発話をした後、すぐに自然な発話をするなどして、そのプロミネンスが導入のためのものであり、自然な発話ではないことを示す必要がある。
また、文を上昇させたり声を大きくして発話をしなくても、効果的にポーズを取ることにより、学習者は教師が導入したいポイントを理解することが出来ると考えられる。教師はイントネーションの変化を加えてある部分を強調するよりも、ポーズを適切に取ることにより学習者の理解を助ける必要があると考えられる。
4 まとめ
これまで、AET日本語研修コースで、ゼロ初級の学習者に頻繁に見られた発音上の問題について見てきた。限られた実習時間の中では、発音指導に当てることの出来る時間はごくわずかである。教室で学んだことを、実際のコミュニケーションで活用出来るような指導を行うためには、主に以下の点が重要であると考えられる。
〔単語レベル〕
@ 学習者の誤りが、日本語でのコミュニケーションに支障をきたす可能性があるのか、ないのかを見極めた上で発音の指導を行う。
A 視覚情報を用いてミニマルペアを呈示するなどして、より効果的な指導を行う。特に、特殊拍は英語を母語とする学習者にとっては困難であるため、ローマ字表記の意味を正確に理解をさせることが必要である。
〔文レベル〕
@ 文レベルの問題は、単語レベルの問題よりも容易に指導しやすい場合があるため、それらについては視覚情報などを用いて効果的に指導する。
A 教師は、自然な日本語では表れないようなイントネーションによる指導は極力避ける。(文の切れ目での上昇、不自然に遅い発話など)。
大山・鈴木(1989)は、日本語学習者の発話の、@各語音の音質、Aイントネーション、B発話の強さ、C長さの四つの要素を日本語母語話者のそれらと入れ替えた合成音を日本語母語話者に聞かせ、「日本語らしく」聞こえるかどうかを判定させている。その結果、イントネーションを入れ替えた発話が最も「日本語らしい」と判定されている。既に述べたように、声の高さの指導は、効果的に行えば学習者にも理解しやすく、またその効果も大きいものもある。したがって、イントネーションの問題は、コミュニケーションに支障をきたす可能性が高くなくても、必要に応じて行う価値があると考えられる。
限られた時間の中で、教授経験の少ない実習生が音声的な指導まで行うことは、決して容易なことではない。しかし、事前に問題となりそうな発音やイントネーションを予測して、短時間で効果的に指導が行えるように事前に準備を行っておくことで、「学習者がクラスで学んだことを実際のコミュニケーションで活用できる」という目的に添った指導を行えると考えられる。
─参考文献─
青木晴夫(1989)「アメリカ人による日本語の発音」『日本語と日本語教育第3巻日本語の音声・音韻(下)』明治書院
大山玄・三浦一郎(1989)「音声変換方法を用いた外国人日本語学習者の音声に関する一検討」『第一回近畿音声言語研究会発表原稿』
鹿島央(1995)「初級音声教育再考」『日本語教育』86号
杉藤美代子(1989)「日本語と英語のアクセントとイントネーション」『日本語と日本語教育第3巻日本語の音声・音韻(下)』明治書院
土岐哲(1989)「音声の指導」『日本語と日本語教育第13巻日本語教授法(上)』明治書院
文化庁(1976)『日本語教育指導参考書1 音声と音声教育』