概要 - 日仏二国間セミナー

概要

大根 絹代 木村 信子 田所 光男 棚沢 直子
辻山 ゆき子 鶴巻 泉子 中嶋 公子 布施 哲
松田 道男 松本 伊瑳子 米山 優 Stéphane Heim
Marie-Claude Rebeuh Cobus Van Staden Roland Pfefferkorn Michèle Forté
Alain Bihr Sandra Schaal Françoise Olivier-Utard










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大根 絹代

「住まいが語る日本女性の生き方モデル」
「家の作りやうは夏をむねとすべし」とした『徒然草』の一節は日本人の住居観の一端を示している。障子、ふすま等による内部の可変性、開口部を大きく
とった開放的なたたずまいは、たしかに日本の気候風土に由来するものであるが、それだけでなく、自然観や家族構成員の関係性などの日本的な価値観
の現れをもそこに見ることができる。
近世までの住居は、仕事場と接客を中心とした公的空間であり、家父長を統率者とする「父の家」であった。家族は協働的紐帯によって結びつき、主婦権
は、囲炉裏端のエヌシ座が象徴するように、礼儀やしきたりにより、可視的に家族内部や近隣社会の人々の承認のもとに尊重され、侵されざるべき権利と
されていた。
明治維新を経て、地縁の解体と都市化、家族規模の縮小等に伴い近世の主婦が持っていた主婦権は弱体化する。協働の絆にかわり一家団欒が家族
を結びつける。家庭は労働と切り離された慰安の場となり、住居から仕事場の空間が消え、プライヴァシーは家族単位で受容される。新しい家族観は、公
的接客の場である座敷や応接間と内向きの団欒の場である茶の間を備えた中廊下型住居を生みだす。近代的な性別役割分業観の徹底により、家庭
内役割に限定されながらも、女性は、家産管理や育児などを担う家庭の主人公となる。「父の慰安の家」であり「母が治める家」を統括する新しい主婦像
が誕生する。
戦後の日本の家族は、家庭内民主主義を標榜し、明治末から大正に形成された憧れの主婦像をアメリカ文化の中に見出す。公的接客空間を廃し、家
族共用部と個室からなる住宅は、専業主婦がオープンキッチンから家族に目を配り子育てする「女の家」である。80年代はこの「女の家」から主婦が再就職、
社会参加へと向かい、新たな女のネットワークが広がっていった。
家族の個人化が進む現在、西欧を唯一の規範とした日本の近代化を問い直す視点から、住まいのあり方も含めた個としての女の生き方へのアプローチが
必要である。
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木村 信子

「世界に直面した近代日本のアイデンティティ形成―高群逸枝の思想をとおして」
日本が国家形成するために世界を意識したのは、6~8世紀だった。その世界は、中国に対し周縁諸国がいわば君臣関係を結ぶことで外交秩序が保たれ
ていた。日本もその体制のなかの一国だった。やがて中国と同レベルになるべく、日本は中国の中央集権体制(律令制)を取り入れることになる。
   
しかし現実化は容易ではなかった。そのことに婚姻制度の研究から言及したのが、日本女性史学の創始者・高群逸枝(1894-1976)である。律令制は中
国の厳格な家父長制下で潤滑に機能していた。しかし日本は母系習俗が隠然たる力をもち、律令制の浸透をはばむ大きな要因のひとつとなっていたのだ。

高群は、律令制と婚姻形態のこうしたずれを、近代日本のアイデンティティ考察につなげる。日本の近代は西欧を中心とする世界に直面した時から始まる。
西欧列強の植民地争奪戦の只中に開国した日本は、自らが植民地化されないよう西欧に向けて国家アイデンティティをつくらなければならなかった。そのため
には、まずヨーロッパ文明を摂取しそれと同レベルになること。そして日本を頂点とする一大家族国家をアジアに建設することである。

高群による日本の婚姻制度に潜む母系の発見は、この国家アイデンティティ形成期とちょうど重なってしまった。高群は言う。日本は、中央貴族の男が地方
豪族の女に妻問いし、その血族を自族に結成した結果、統合が成り立ったのだと。その構図をアジア諸国に拡大して一大家族国家建設を幻視することによ
り、彼女は国家思想に同一化したのだ。この高群の意識構造を分析考察する。
   
敗戦後、高群は西洋や中国の女性史を視野に入れ、日本女性史を相対化する。また、日本の婚姻形態の太平洋諸島的側面を明確にし、この文化圏
に眼差しをめぐらせる。これは、地球温暖化・ポストコロニアルの視点からもフランスと共有できる、今日的なアイデンティティ問題を先取りしていたと言えるだろう。
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田所 光男

「現在の西欧化モデルに従う以外にモダンはないのであれば―〈グリーン・ペリル〉と〈イエロー・ペリル〉を貫くもの」
主タイトルに掲げたのは、タリク・ラマダンの著作『イスラム』から引用した条件節である。ムスリムの若者たちのこの精神的指導者は、現在の西欧化モデルを
「議論の余地があり、恐らく間違っている」と判断して、西欧的モダンを拒否し、別のモデルによる別のモダンを提示する。外部と結んで西欧社会の内部爆発
を画策する〈グリーン・ペリル〉の本領をそこに見るべきなのであろうか。いずれにしても、ラマダンの思想が、かつて(今日もなお?)〈イエロー・ペリル〉と嫌われた
日本に19世紀後半以降続くナショナリズムの思想傾向と強く共鳴していることに驚かされる。
   
三つの革命(科学革命、産業革命、ブルジョワ革命)を経て、西欧が地球的規模で、単線的な社会進化論に立つ統一的な文明システムを形成していた
時代、非西欧地域にはしばしば、二つの相反的な勢力が生み出された。一方は、西欧文明の達成した成果を評価し、その普遍性も容認し、それを目的
として進歩して行くことを求める勢力である。もう一方は、そうした西欧主義を拒否する勢力であり、その中には、ひたすら自分たちの源泉に回帰しようとする
原理主義とは異なり、西欧的モダンを相対化しつつ、別のモダンを目指す動きもある。様々な点で分岐するけれども、ラマダンと日本のナショナリストが一致
するように思われるのは、このいわばアルターグローバリズムの傾向である。彼らの西欧的モダンへの批判は何よりも、それが人間の共同性を台無しにしてしま
ったことにあり、それを救うために、固有の聖なる次元に結びつくモラルを復権しようとする。というのも、西欧的なモダン化は両義的過程であり、それは聖俗両
方の絆を断ち切って、個人を解放すると同時に、不安な孤立状態に置いてしまうからである。西欧の内部でも、反対者は見つかるであろう、例えば、日本の
ナショナリスムのリーダーに強い影響を及ぼしたジョゼフ・ド・メストルなどもそうである。西欧的モダンの周辺の至るところで、その原理と現実に対して、普遍主
義的であるにせよナショナリスティックであるにせよ、聖なる次元に基づく別のモダンを求める声が立ち上がる。
   
しかしながら、アルベール・メンミのように「本質的に」と付け加えることは躊躇するものの、宗教やナショナリズムは人間を分離し、しかも、他者を「ペリル」として
表象することさえあろう。歴史の中にその証拠は欠けてはいない。特に、内部のマイノリティに目を向けるならば、それは明らかである。集団的な自己への帰属
に身を入れようとすることは、解決しようとした、まさにその他者の拒否と不公正を再び生み出す恐れがあろう。それは、あらゆるアイデンティティの運命なのであ
ろうか。〈聖化〉アルターグローバリズムがしばしば頼る、複数性原則や文化相対主義は、共に生きること、聖なる次元を共有しない人々とも共に生きることを
十分可能にするのであろうか?
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棚沢 直子

「グローバル化時代の国家アイデンティティ―日仏比較―」
およそアイデンティティの必要性は、対外的なものを強く意識したときに生まれてくる。現代のようにほとんどの分野がグローバル化していく時代には、国家アイデ
ンティティなるものを、あらためて考えてみるのも悪くないかもしれない。
   
国家アイデンティティの形成・再形成は、歴史の記憶から引き出されてくる。日本での国家アイデンティティ形成は、江戸後期からの国学とくに水戸学を発信
地にして、1868年以降の明治期から国家の一大事となった。アイデンティティなる語は当時の語彙になかったから、大正、昭和期を経るうちに「国体の明徴」
という言い方でその必要性が表現されていく。フランスでは18世紀啓蒙の時代を経て1789年革命以後の共和政体形成のフランス的な特性をめぐって、国家
アイデンティティは(フランスでは現在でもこの語はあまり使用されないが)論議されることになる。
   
ここでは、フランスの場合1789年以後から現代まで、日本の場合1868年以後から現代まで、国家アイデンティティの形成とその風化について、超スピードで
概観し現代におけるそれぞれの問題点を探りたい。
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辻山 ゆき子

「グローバリゼーションの中における在日コリアン」
この報告では、1990年代以降の在日コリアンの反差別運動のあり方の変化を、日本のグローバリゼーションの進展と関連付けて考えてゆきたい。在日コリア
ンの反差別運動は、1990年代に大きく変化した。背景にはさまざまな要因がある。日本社会のグローバル化によるニューカマー外国人の増加。韓国の民
主化、経済発展などによる日韓関係の変化。北朝鮮の経済や政治の硬直化と日朝関係の変化。日本国籍をもつ在日コリアンの増加。これらを背景とし
た在日コリアンのこうむる差別の様相の変化、などがあげられる。
   
在日コリアンとは、日本にすむ朝鮮半島にルーツのある人々であり、日本が朝鮮半島を植民地化する過程で渡日し、いまも生活基盤を日本においている
人々を指している。第2次世界大戦以前は日本国籍だったが、1952年のサンフランシスコ条約の発効と同時に日本国籍を失った。日本の国籍法が血統
主義であることから、かれらの多くが日本国籍を持っていない。
   
日本で生まれ育った在日コリアン2世の特徴は、朝鮮の文化、言語に直接に触れる経験が乏しいのにもかかわらず、差別されていることを核として民族的ア
イデンティティを育んできたことである。かれらの反差別運動は、1970年代の日立就職差別裁判にはじまり、1980年代の指紋押捺拒否運動でひとつのピー
クを迎えた。しかしその後、運動の担い手が3世にうつり、民族的アイデンティティのありようもさらに多様化し、反差別運動もその志向を多様化させている。

本報告では、いくつかのことなる志向を紹介しようと考えている。そのなかのひとつは川崎市のふれあい館の活動である。ふれあい館は1988年川崎市桜本の
在日コリアン多住地域に、市が多文化共生の街づくりを目指して建設した児童館の機能ももった社会教育施設である。運営は、社会福祉法人「青丘社」
に委託され反差別の社会運動の性格を持っている。設立以後、地域に空気のように存在する差別を解消するために、粘り強い活動を行っている。
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鶴巻 泉子

「地域音楽から全国、ワールド・ミュージックへ
―1990年代以降のブルターニュ音楽・沖縄音楽の流行に見る、マイノリティ文化と国民国家の変容」
沖縄とブルターニュはそれぞれの国民国家で辺境と位置づけられ、文化的・社会的な植民地的状況を歴史的に経験してきた。ところが1990年代以降、両
地域は次第に国内で注目を集め、一種の流行にまでなる。それと呼応するように、地域の内部ではスティグマの克服や地域文化への関心の高まり、そして一
部では政治的意識の高まりが見られる。本報告では、1990年代以降の地域音楽ブームを通して、ローカルな音楽が全国、あるいはワールド・ミュージックとし
て受容される仕方を日仏で比較し、流行の要因を探る。それを通じて、内なるマイノリティ文化がグローバル化の文脈の中でどのように国内で変容を遂げてい
るかを考える。
   
流行の背後にある地域的・国内的要因は対照的である。ブルターニュでは70年代以降の地域主義の流れをつぐミリトンティズムがミュージシャンや音楽産業
関係者の中に生き続け、それは音楽産業の自立化にもつながった。音楽の流行は地域内外で後押しされる。ところが沖縄では、地域主義を公的に表現す
る活動は育ってこなかった。地域の音楽産業は分立し、ネットワーク化や協働は進展しなかった。沖縄ブームの仕掛けは本土であり、それが生み出す「癒しの
沖縄」というイメージは地域内の表象と大きく乖離する。他方、フランスでのブルターニュ音楽の受け止め方は単なる一地域音楽に対するものではなく、ケルト・
イメージを通したものである。ところが沖縄の流行は一地域の流行であり、地域が内に持つ記憶の特殊性、現在も抱える問題はまるで無視したところに成り立
つ。沖縄を「自国の文化」に捉え混む動きが日本側に強く表れるのに対し、フランスの場合は「ケルト」という言葉が持つ多義性が矛盾する表象の共存を許
し、音楽の創作次元に広がりと国際性を与える。
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中嶋 公子

「グローバル化における高学歴専業主婦の未来」
本論で試みようとするのは、フランスには存在しなくなった「高学歴専業主婦」層がなぜいまだに日本には存在するのか、その理由を探り、その未来を予測す
ることである。それは同時に、日本の国家アイデンティのゆくえを予測することでもある。
   
1970年代末、世界第二位の経済大国になった日本は欧米へのキャッチアップは終了したとし、21世紀に向けての新たな国家像、社会像、家庭像を構想
した。新たな国家像はもはや西欧型モデルはとらないとし、日本文化の特質を基礎とする日本型モデルの国家像が生まれる。この国家像における家庭像は
自助努力の家庭であり、新しい社会像である「日本型福祉社会」の中核となる。これら国家像、社会像、家庭像において女の位置づけが示される。それは、
「日本型福祉社会」においてA氏とA氏夫人という夫婦モデルの一生として示される。企業戦士であるA氏に対してA氏夫人は「高学歴専業主婦」である。
このA氏夫人こそ新しい国家像における女の位置づけ、ジェンダー表象である。

このように、日本の国家政策においては女のキャリア形成はまったく考慮されず、高学歴を家庭経営に生かすように求められている。80年代後半には、専業
主婦が家庭責任を全面的に担う、その見返りと雇用調整策として、一連の専業主婦優遇策がとられた。しかし、90年代に入り、グローバル化の進行、バブ
ル崩壊、急激に進む少子高齢化に対応するため、「男女共同参画社会基本法」(1999)が制定され、「改正男女雇用機会均等法等」(2007)が施行さ
れるなど、女の労働力の活用についても一定の考慮がはかられるようになっている。とはいえ現在、女性雇用の半分以上が非正規雇用であり、専業主婦
優遇策もごく一部が廃止されただけである。仕事と家庭の両立をはかるには、子育て、介護の社会化も不十分である。長時間労働も改善されていない。

こうした状況の中で、層としての「高学歴専業主婦」の存在はなくなるのだろうか。当面はなくらないだろう。なぜなら、政府は、急速に進むグローバル化の中
で日本が経済戦争を生き抜くためにこのジェンダー表象を必要だと考えているからであり、女の側にもそれを受け入れる意識と論理が残っているからである。つ
まり、それはいまなお国家による女の位置づけの象徴であり、それを支える社会構造、制度、規範、意識は根本的に変わっていないからである。
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布施 哲

「保田與重郎と「イロニーとしての日本」―失われた世界と政治的現実との狭間で」
18世紀の国学者である本居宣長の「漢意(からごころ)」ならびに「人智のさかしら」批判は、宣長の死後百数十年の年月を経て、暗く不幸な時代の日本の
ある文芸評論家によって引き継がれた。対外的には日韓併合条約が締結され、国内では幸徳秋水らの社会主義者や無政府主義者たちが徹底的な弾
圧を受けた年に古都奈良で生まれた保田與重郎は、かつて仏教や朱子学に対して仮借ない攻撃を加えた宣長の正統な後継者を自認し、戦時下の日
本の言説状況で特異な位置を占めた。
   
すでに12世紀には日本に伝来していたとされる朱子学は、ながきにわたり主に学僧たちの教養のひとつにすぎなかったが、17世紀末になると、当時の支配者
層であった武家のみならず、裕福な町人や豪農たちにも好んで学ばれるようになっていた。しかし、その頃になると一部の学者たちのあいだでは朱子学に対す
る異論や批判も見られた。道教や禅学といった非儒学的要素を多分に吸収しつつ体系化された朱子学は、学問体系としては比類なき完成度を誇ってい
たが、儒学者たちのなかには『六経』や『論語』といった儒教の古典を再度直接解読しようと試みる者たちもでてきた。つまり、幕府の官僚のための退屈な学
問体系に堕した朱子学ではない、いわば"真の"儒学を追究しようという試みである。伊藤仁斎の古義学や荻生徂徠の古文辞学はその代表であった。
   
仏教や儒教の伝来以前の"純粋な"日本のあるべき知的伝統を探究する宣長の国学は、表面的には仁斎や徂徠の儒学とは相容れなかったが、その方法
論においては相似形を成していた。とりわけ徂徠の古文辞学は、儒教というよりは儒教(朱子学)批判であり、古代中国において政治・社会制度を構築した
先王と孔子への留保なき信仰を捨て去った後のあらゆる学問体系を攻撃するという性格を有していた点で、同様に儒仏はおろか、宗教体系としての神道の
オーソドキシーさえをも否定していた宣長の国学とは相当程度の親和性があったのである。宣長は、『古事記』や『万葉集』といった日本の古典のなかに、神
や自然と一体化した人間の本来の姿を見出し、宗教的、哲学的教義を弄ぶ衒学の徒を、大陸の「漢意」によって汚染された俗物と見なした。さらに宣長
にとって、人間が作り出した社会の道徳的規範や法体系は、「猿の体毛」の如く、人間にとっては本来的に不要のものであり、社会規範や法制度が整えば
整うほどそれを破る者、すなわち犯罪者を増やすことにしかならないような悪しき過剰にほかならなかったのである。
   
宣長が抱いていた宗教的、哲学的体系と法制度への嫌悪は、保田が掲げる「浪漫主義」によって、きわめて先鋭化されたかたちで20世紀の帝国日本によ
みがえったが、宣長が生きていた徳川の世とは異なり、保田が身をおいていたのは、ひとりの知識人が人為的な構築物としての政治社会に対する呪詛を表
明していれば済む時代ではなかった。それは、「国民」と称して均質化された1億の人間が例外なく死と隣り合わせであるような、異常な時代であったのだ。
   
保田は戦後、一方で息を吹き返した進歩派知識人たちからかつての「官憲の犬」として指弾されつつ、他方では連合国軍総司令本部(GHQ)から軍国主
義を先導した人物のひとりと見なされて公職追放を受けた。また彼の著作物も、その後20年近くにわたって事実上封殺されてきた。しかし戦中の保田は、
マルクス主義者や無政府主義者たち同様、軍部によって監視され、ときに投獄されたことさえあったのだ。つまり保田は、戦中・戦後を通じて、体制派からも
反体制派からも標的とされてきたのである―それはまさに、保田自身が体制派も反体制派も、ともに批判の対象にしてきたことと並行していた。
   
保田にとって、宣長が想いを馳せていた遠い"日本"の伝統、歴史、そして美意識は、それを担っていた公家階級が13世紀初頭に武家階級によって圧倒さ
れて以来、失われたままただ古典のテクストのなかにのみ沈潜していた。保田は明治期以降の知識人たちが競って受け入れてきた欧米の学問一般、とりわ
けマルクス主義をその頂点とする(と彼が見なしていた)近代主義、啓蒙主義、進歩主義の諸前提を否定したが、同時に、当時の日本のファシズムを下支え
してきた政治的イデオロギーとしての農本主義や皇国史観に対しても不信感を隠さなかった。それらはともに、彼が「植民地の知性」と蔑んではばからなかっ
たものであり、"失われた日本"の姿からは限りなく遠い「さかしら」であったのだ。
   
では、戦中知識人としての保田が日本の軍国主義に対して責任ありとされたのは、いかなる意味においてであったのか。
すでに敗色が濃厚となり、行き着く先の死が決定的であるにもかかわらず無言で戦地に赴く名もなき兵士たちに、保田はまさに「人智のさかしら」を超越して
現状をありのままに受け入れる古の日本人、神と一体化しつつ自然を生きていた遠い昔の人々の姿を幻視し、それを称揚した。遠く海を隔てた戦場で粛
々とただ命を落としてゆく兵士たちは、保田にとって、当時のどの文学作品よりも"日本"の喪失を見事に体現していたのであり、勝利が不可能であればある
ほど、それは古の"日本"の回復不可能性を哀れなほど美しく表象するのであった。多くの若者たちが熱病に浮かれたかの如くに接した保田の思想は、兵士
となる彼らを鼓舞する類のものではあり得なかったが、彼らの玉砕に審美主義的な色彩を確実に与えていた。宣長から引き継がれた徹底的な主知主義批
判は、保田によって死の美学化へと転化されたのであった。
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松田 道男

「現代グローバリズムの超国家的性格と世界新秩序構築の必要性」
現代グローバリズムとは、帝国主義の流れを汲む国民国家の国益行動と、グローバル企業の超国民国家的企業行動とが、合成したものであるといえる。ま
た現代グローバリズムは、市場経済体制の全地球的普遍化とIT技術の急速な発展による遍在化を基礎構造にして、世界経済の国境と時間差なき一体
化・平準化を、実現させつつあるが、その影響は経済を超えて政治・軍事・文化の分野にも及んでいる。そしてこのプロセスは超国民国家的であり、その進行
は歴史の必然であり不可逆過程であることを認識して対応しなければならない。
   
一方、現代グローバリズムの進行に起因する、さまざまな格差、地球環境問題、グローバル企業の超国家的行動による負の影響などはますます拡大すると
同時に、貧困・疾病・飢餓・地域紛争やテロなどの"古くからの"問題は今なお深刻である。これらの問題には、国連を核とする国際機関の集合体によるグロ
ーバル対応が本来期待されるのであるが、その意思決定メカニズム・組織・規約の陳腐化、官僚主義化、組織間の機能重複・競合といった問題から、グロ
ーバル化がもたらす新しい問題への対応能力の不足が顕在化している。またIMF・世界銀行・WTOグループも、経済危機対応やグローバル企業(特に国際
金融)の活動の監視や規制面での対応が著しく不十分となっている。
   
グローバリゼーションの進行に的確に対応した新しい世界の均衡の取れた発展と秩序を構築するためには、こうした国際機関を抜本的に改革し、その集合
体が機能的に活動を行うことを目指さねばならない。その改革のためには、参加諸国の民主的な権利と義務を明確化し、機能不全に陥る意思決定メカニ
ズムからの脱却をはかること、参加国からの公平にして十分な資金拠出、円滑な業務執行を担保する組織、必要な人材確保などの観点から組織設計を
見直し、再構築することが求められるのである。また、国際機関の構成は、各国政府や政府間機関のみを代表とするのみならず、NGOや企業を"地球市民"
としてその提案を適切な形で受け入れることで、開かれたものとすべきである。そして地球レベルで市民レベルへの透明性と説明責任を果たすためにITを最大
限活用した活動を強化すべきである。
   
こうした改革には、時間と周到な準備が必要とするが、国際機関を、合目的的にして、機動的な活動のできる組織の集合体へと、組み替えていくことはグロ
ーバリズムのもとでの人類的課題である。長期的視野に立った組み替えの作業と平行して、次の諸点はただちに実行に移す必要がある:
-2015年を期限としている"国連ミレニアム開発目標"の恒久化をはかること
-企業行動を規制する国連グローバル・コンパクトの精神を国際法化する
-地球温暖化対策のためIPCCを実行機関に格上げすること
-IMF・世銀・WTOの陳腐化からの脱却のために根本的な組織刷新すること    
そしてわれわれは、新たな国際機関の集合体に依拠して、超長期の歴史的視点に立つ超国民国家的合意形成を行い、グローバル化時代に適合した
世界新秩序(New Global Order)の建設を目指すべきである。現代グローバリズムに対して、その進展を先取りし凌駕する人類の英知を結集すべきときが
到来したのである。 
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松本 伊瑳子

「ワーク・ライフ・バランスを考える―21世紀型人間・社会の構築に向けて―」
1980年代後半からアメリカで「ワーク・ライフ・バランス」ということがいわれだした。2007年7月に内閣府から出された「男女共同参画会議・仕事と生活
の調和(ワーク・ライフ・バランス)に関する専門調査会報告」によると、「ワーク・ライフ・バランス」とは、「老若男女誰もが仕事、家庭生活、地域生活、個
人の自己啓発など、様々な活動について、自らが希望するバランスで展開できる状態」のことである。「ワーク・ライフ・バランス」は、男女がともに仕事と
家庭生活に携わることを目指しているらしい。これは、これまで政府が推進してきた<男は仕事、女は家事・育児・老親介護>というモデルとは対照的で
ある。

なぜこのような変化が起こったのだろうか?上記報告書によれば、少子高齢化・人口減少時代に対処するために、男女がともに仕事も家庭生活も担う、
いわゆる<両立型>への方向転換の下で、企業・組織や社会全体が持続可能となるように変革しなければならないのである。

しかしながら、この報告書では、日本人、とりわけ日本女性が行っている<家事・育児・老親介護>の分析が十分になされてはいない。本論においては、
<家事・育児・老親介護>の全責任を毎日一人で負ってきた女性の視点から見た場合、内閣府の「ワーク・ライフ・バランス」なる提言を実践しようとする
ときに、何が妨げになるのか、また内閣府の提言に書き込まれていないことは何かを考えてみたい。そしてこういった考察において、21世紀の新しい人
間や社会の在り方を、ジェンダー学の一端として探ってみたいと思う。
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米山 優

「日本的なポリフォニー」
集団を構成する諸単位を基に成立する日本的なポリフォニーという出来事がある。それについての考察が、グローバル化という現代世界の動きに対処するた
めの新たなアプローチを可能にすると私は考えている。日本的なポリフォニーというもので具体的に私がイメージしているのは、まずは、四人前後の参加者で詩
をつないでいく連歌・連句という営みにおいて成立する、<開いた作品>とでも言うべきものである。
   
ポリフォニー音楽をめぐる西欧音楽史的な展開が、日本の連歌・連句といった詩的創作活動との対比で、今回の共同セミナーのテーマと興味深い関連を持
ってくることを私は示したい。
   
なぜポリフォニーをあえてここで主題化するのかというと、それは、<開放性を確保しつつ物事を比較し、相互作用させるための方法論>を提示したいからであ
る。
   
連歌・連句では「作品」そのものが<開いて>おり、世界を<閉じた作品>化する意図がない。それと同時に、作者も<開いて>いる。
連歌的振舞いとは、こうして、個と個、個と全体が、孤立した実体間の関係としてではなく、まさに出来事として激しいインタラクションに曝されながら互いに変
化していく営みを最大限に受け入れたものである。
   
ここから、インターネットの現状とその連歌・連句的再構築の可能性が垣間見られる。
   
その可能性を現実化させるために必要なのは、コスモポリタニズムではない新しい市民性(la nouvelle civilite)である。それは、アイデンティティの問い直しを迫
るような概念である。
そして実現の方法としては、<言葉の使い方を、開いたものにすること>である。
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Stéphane Heim

「トヨタ株式会社のヨーロッパにおける生産発展と企業文化:
賃金―労働関係、下請け会社との関係、コーポレート・ガバナンスの調査」
トヨタ株式会社のヨーロッパにおける生産発展と企業文化について発表を行います。先ずはじめに、トヨタの生産世界化を概観します。その後、企業文化の
次の三つの大切な点(賃金―労働関係、下請け会社との関係、コーポレート・ガバナンス)の調査について報告します。
   
トヨタの生産世界化は三つの段階に分けられます。
―第一段階
外国における少量生産時代。1959年、トヨタ株式会社は世界で初めて、外国の工場での車の生産をブラジルで始めました。
―第二段階
外国での生産の発展は、1988年のアメリカ合衆国での工場設立(Toyota Motor Manufacturing Kentucky)から始まりました。
―現在の段階
トヨタ株式会社の予測によると、2007年、外国での生産量(427万台)が日本での生産量(420万台)を初めて上回ります。
   
1970年、トヨタはヨーロッパ市場に進出しました。またその同じ年、ベルギーのブリュッセルに、トヨタ株式会社の子会社"Toyota Motor Europe"を開設しま
した。ヨーロッパで初めての生産兼組立て工場は、1992年、イギリスのBurnaston、Birminghamの近くに建設されました。次にトヨタは2001年、北フラン
スのValenciennesに工場を建設しました。さらに2002年、トヨタがヨーロッパで二つの新しい工場:ポーランドのエンジン製造工場とトルコの組立て工場を建
設しました。最終的に、2005年、プジョーと共同でチェコに小型自動車の組立て工場を開設しました。
   
ヨーロッパでは、トヨタの決算によると、2001年から2005年にかけて、生産量がほぼ三倍になりました(200,000台から 600,000台まで)が、この生産
量はアメリカや日本での生産量に比べると、まだほんの少量に過ぎません。
   
上述のデータを見てわかるように、2000年代からトヨタの生産世界化が始まりました。
私の発表の目的は、この生産世界化の流れの中で、これまで日本で培われてきたトヨタの企業文化がどのように変化していくか、ということです。
   
この発表のフィールドワークとして、ヨーロッパの生産工場マネージャーにインタビューを行いました。そして、三つの大切な企業文化の要因を調査しています。
すなわち賃金―労働関係、下請け会社との関係、そしてコーポレート・ガバナンスです。
   
トヨタの企業文化は、トヨタ生産制度と一致すると言われています。トヨタ生産制度(トヨタ主義)は、あるMIT (Massachusetts Institute of Technology) 
研究者らによると一番効率の良い制度です。この研究者らによると、トヨタ主義はフォード主義を継承するばかりでなく発展させています。トヨタの生産制度
は"アンドン""自動化""看板"などの生産過程を生み出し、且つ使用しています。しかし、トヨタ主義の中で最も重要な部分は"改善"と言う考え方です。
   
さて、生産世界化の流れの中でこの企業文化は、ヨーロッパにおいても伝えられるのでしょうか?
そこで、賃金―労働関係の調査を行います。中でも、北フランスの工場従業員の募集プロセスに重点を置きます。トヨタはスタッフ雇用の為に、人事管理コ
ンサルタント事務室と協議を行い、共同で独自の基準を設けています。この募集プロセスの土台は、"行動的能力"(フランス語で"Compétences 
Comportémentales")です。さらに、トヨタとある一つのヨーロッパ下請け会社の産業関係について分析を行います。戦後、日本には"系列"と言う特別な概
念があり、親会社は下請け会社との関係をこの系列の中で行っていました。しかし世界市場進出に伴い、トヨタはヨーロッパの下請け会社との関係をどのよ
うにリードしていくのでしょうか?ここでは、あるヨーロッパ下請け会社とトヨタの関係を調査します。
   
最後に、ヨーロッパのトヨタのコーポレート・ガバナンスを検討します。どのように購入、労働力育成、投資の決定がされているのでしょうか?ここでの重要な点
は、ヨーロッパにある工場はブリュッセル本社と日本本社から独立したかどうか、という事です。
本発表はフランスのレギュラシオン理論に基づいています。
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Marie-Claude Rebeuh

「家庭向け対人サービスの行方:専門職化か、新たな家事使用人の地位か?」
フランスでは過去30年の間に、家事代行等の家庭向けサービスが急速に拡大したが、市場としては余り組織化されておらず、被雇用者も殆ど女性に限ら
れ、非常に不安定な条件の下で、或いは非公式経済の一部として行われている。このような「雇用」に甘んじているのは、女性の中でも学歴が無く報酬レ
ベルも低い高齢者で、移民系が多く、法的には不正規滞在の者もいる。いずれも他に選択肢の無い人々である。種々の産業分野の中でも、これが移民
女性の受皿となっている。その背景には、移民の流入も経済のグローバル化に伴って大きく変化したことがある。
   
女性就労の構造的拡大と人口の高齢化が相まって、家庭向けサービスの需要が活性化された。従来は家事労働として主に女性が無報酬で担ってきた
作業を、代行するためである(家事、子供の世話、高齢者支援等々)。政府・自治体の政策も、失業率の高止りしていた時期に、無資格または低学歴
だが家事には経験のある女性向けの雇用創出を促すものとして、このような需要の拡大を積極的に支援した。政策当局も最初は、この種の家庭向けサー
ビスの特徴とも言える非合法就労を抑制し、利用者側の支払い能力を高めるため、利用者に税制上の優遇措置を適用し、ヘルパーの採用・管理に関る
行政手続の簡素化を図った(サービス雇用小切手の導入)。また利用者がサービス提供者との契約形態を自由に選べるようにするため、政策当局は随意
契約(利用者・雇用主と「従業員」の間の直接的な関係)を、市民団体の提供するサービスより優先的に扱った。その結果、チェックの効かない不透明な
市場を放任する形となった。
   
最近の「対人サービス推進プラン」(2005)の目的と課題は、この分野を実態上も専門職として確立することである。具体的には、サービスの品質向上及び
労働条件の改善を図ること、そしてサービスを既に提供または今後提供しようと考える企業・市民団体・個人に対し教育訓練や資格認定を行い、専門家
として育成することだ。しかしこの分野は「本格的な雇用」を提供しているのだろうか。またどのような人に対してなのか。今のところ専門職への移行は非常に
限られており、かっての召使い的な仕事や非公式または闇の経済に属するこの種の「雇用」の大部分には、殆ど影響を及ぼしていない。
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Cobus Van Staden

「アルプスの金色の輝き:文化的グローバル化、ヨーロッパのイメージとハイジ」
・非ヨーロッパの国において、ヨーロッパの文化はいかなる力を持つのであろうか?欧米以外の文化で作られたポップカルチャーにはヨーロッパのイメージを表す
人物や背景が見られる。それらを我々はどう理解するべきなのだろうか?
・南アフリカで放送された『アルプスの少女ハイジ』はヨーロッパと日本の文化的な遭遇の象徴としてだけではなく、文化的なグローバル化の一例としても考え
ることができる。
・この小論ではどのように画面上でヨーロッパが象徴的に描かれているのかという問題に焦点を当てたい。このシリーズにおける最も重要なヨーロッパの表象は
「アルプス」であると言える。
   
南アフリカにおける『ハイジ』
・『アルプスの少女ハイジ』は南アフリカで放送された時は、アパルトヘートの時代であった。
・アパルトヘート政策下のポップカルチャーには、「ヨーロッパの継承者である」というイメージも「ヨーロッパと平等である」というイメージも同時に表れていた。
・日本で作られたヨーロッパのイメージを使い、アフリカーナーたちが「ヨーロッパと血族関係がある」とパフォーマンスした瞬間に、ヨーロッパはアフリカーナーたちとの
関係を断とうとするのだ。
   
日本における『ハイジ』
・『ハイジ』のヨーロッパは未来より過去のイメージになる。現代ヨーロッパは『ハイジ』の世界と関係がない。その世界は時間から離れているからというより、『ハイ
ジ』の未来は現代ヨーロッパより現代日本だからである。
・植民地時代には、ヨーロッパの文化は流通され、非ヨーロッパ人に知られることになり、その文化製作はヨーロッパに支配された。『ハイジ』とほかのヨーロッパ
を背景にしたアニメは、ヨーロッパが支配できず知られ、視覚的に記された。そのうえ、記す過程はヨーロッパ人のためにではなく、非欧米人のためである。
・アルジュン・アパデュライが論じた「記憶なしノスタルジア」という概念に近づく。アパデュライは、体験や記憶が元になってないノスタルジアは現代広告とマーケ
ティングに作られている感情だと論じた。
・観客の資本主義的な主体性を分析法の元にすれば作品のアピールは理解しやすくなる。アニメ化されたアルプスは資本からの避難ではなく、大都市より
進んだ資本の範囲の中に存在する。
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Roland Pfefferkorn

「社会構造分析のための社会学的ツール」
当発表の目的は、フランスにおいて社会を表象する方法として最も良く使われている社会・職業カテゴリー(CSP)用語を批判的に紹介することである。社会
に関する統計はほとんどすべてがその用語を使用している。ここでは日本で使用されている統計カテゴリーとの比較は行わない。(注1)
   
現在のフランスの分類用語は、第一のレベル(大まかな分類レベル)では、雇用を有する労働人口のCSPを6グループに、「職業活動のない」人々を2グルー
プのCSP(「退職年金受給者」と「その他の無職」)に区別している。第二のレベル(通常の出版物レベル)では24項目(内19項目が就業者)、第三のレベル
(詳細な分類レベル)では、42項目(内32項目が就業者)の区分が行われている。最も詳細なレベルにおいては、489項目に分かれ、その中の455項目が
就業者を分類している。これらのCSPは各世帯の分類に使われており、各世帯を依拠する一人の人間が代表する。従ってこれはまず、人々を一義的に分
類することを目指す統計カテゴリーである。
   
INSEE(国立経済統計研究所)が配慮していたのは、多大な社会的均質性を持つカテゴリーを構成することであった。カテゴリーにまとめることにより、社会環
境と、経済・社会・人口などの様々な特徴との意味ある相関関係を浮かび上がらせることが狙いである。また、INSEEの目的は、標準的な分類を提供するこ
とであり、その分類は様々な問題を研究する多様なユーザー(行政、研究機関、マーケティングの企業等)を満足させるものでなければならなかった。社会的
均質性という概念は、あるグループの成員は共通の特徴(行動、意見など)を持つと見なされるという考え、あるいは、自分がそのグループに属していると考え
ており、他の人々からもそのグループに属す者であると見なされているという考えを参照する。
   
このような用語構成は、様々な基準に基づきカテゴリーを定義するという抽象的な方法と、隣接する職種をまとめるより経験的なアプローチの双方に基づい
ている。CSPの用語では、我々の社会を区分する大きな対立が組み合わされている。経営者と労働者、農村部と都市部、文化資本の多い職種と少ない
職種などの対立である。
   
しかし、新旧かわらずその用語の第一にして主要な欠点は、資本主義階級即ち生産手段所有者階級を明確に浮かび上がらせない点である。第二に、C
SPの大きなグループの定義は、例えば所得や消費や資産の面ではかなり格差のある下位集合を同じグループにまとめることになる。第三に、より細かなレベ
ルにおいてもCSPの分類規則は、あらゆる分類法が避け得ないように、職業分類に関する恣意的な判断に基づいている。その上、アンケート調査への回答
が明確でない際には、INSEE或いは統計局は、与えられた情報があいまいであるにもかかわらず、その人を明確に定められた項目にどうにか分類しなければ
ならないのである。最後に、CSP分類法は、社会で使われている職種または地位をさす名称に基づいている。これらの名称は、社会の通常の表象を参照す
るものであるが、同時に労働組合、さらには政治的な表象も参照している。後者の表象は、ある集団が、認知された集団として社会的に存在するために強
化の努力をしているものにほかならない。
   
注1. 日仏比較については以下の研究を参照のこと。
杉田くるみ≪Les catégories d'emploi dans la société japonaise日本社会のにおける雇用の範疇≫『Travail et Emploi労働と雇用』108号、2006年
10月・11月加瀬和俊・杉田くるみ ≪The unemployed and unemployment in an International Perspective Comparative Studies of Japan, France 
and Brazil≫ ISS Research Series №19, Istitute of Social science, University of Tokyo, 2006, 200p. (『国際比較の中の失業者と失業問題、日本、
フランス、ブラジル』東京大学社会科学研究所、2006年2月)
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Michèle Forté

「女性の職業訓練-グローバル化するヨーロッパで、何が課題か?」
EUの雇用促進戦略において、生涯教育はキー要素の一つをなす。グローバル化の進む経済において、企業の競争力を高め経済成長を図るためにも、また
個人が資格を取得しその能力を高めるためにも、本質的な重要性を持つものと見なされている。2003 - 04年の改革以降、生涯教育はフランスにおける職
業訓練の枠組の中心に据えられ、労働者の一部にとっては既に現実となりつつある。
   
全体として見れば、女性労働者も男性と同程度に生涯教育の機会を得ている。しかしこれは言わば平均値であり、その裏には大きな格差が隠されている。
格差の原因は、女性雇用に特徴的な要素、企業が内部に作り出す差別などがあるが、加えて私生活の次元における性別分業がある。
   
この論文では、これら様々な現象の解明に務め、生涯教育に見られる男女間の処遇の格差について、その主要な問題を明らかにしたい。
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Alain Bihr

「ネオリベラル的ニュースピーク(新語法)」
今日、政治の世界でもメディアの世界でも、ネオリベラル語法が一世を風靡し、ネオリベラル的経済・社会政策の喧伝に使われている。福祉国家の枠組の
中で賃金労働者が獲得してきた保障を破壊し、賃金労働の不安定性と柔軟性を更に悪化させると同時に、あらゆる形の資本流通を国家による一切の
制約と監督から解放する、このような目的を追求する政策を、ネオリベラル語法はイデオロギー的に正当化する。
   
シンポジウムではネオリベラル語法のこのようなイデオロギー機能を取り上げ、その修辞技法を分析する。即ちこの語法を理解するのに、オーウェルの有名な政
治フィクション小説『1984』に登場するニュースピークが手掛りになることを示したい。ネオリベラル語法には正に、ニュースピークの駆使する二つの主要な操作
形態が見られるのだ。一つは使用する語の意味の反転であり、もう一つは語の持つ意味の一部を消すことである。この二つの操作は、ネオリベラル語法がそ
のキーワードを定義し使用する際に、大抵の場合同時に実行される。
   
ニュースピークにおける最も象徴的な技法は、使用する語の普通の意味を反転させること、即ち語の本来の意味に替えて、反対の意味を当ててしまうことで
ある。オーウェル自身、『1984』の中でこの技法の具体例を幾つか示したので、良く知られている。小説の舞台となる超大国オセアニアで、一党独裁を敷く政
党が掲げる三つの主要なスローガン:「戦争は平和である」、「自由は屈従である」、「無知は力である」は、正に意味の反転からなっている。ネオリベラル語
法は、キーワードを使用する際にこのような意味の反転を活用し、遂にはキーワードを全く反対の意味に変化させている。これを、平等と市場の概念を例に
とって明らかにする。
   
ネオリベラル語法が常に用いるもう一つの修辞技法は、特定の語の意味を消すことで、上に述べた技法と逆だが補完し合っている。即ちある語やある意味の
使用を他の語や反対の意味を通して押し付けるのではなく、ある語やある意味を、それに障害となるか或いは覆い隠す別の語によって、不可解にしたり使え
なくするのである。別の言い方をすれば、特定の用語に則った思考を強制するのでなく、特定の用語に則って思考することを妨げる。特定の語を追放するこ
とで特定の概念を追放し、それらの概念をツールとする特定の理論的分析を追放するのである。これについても二つの例、即ち企業の社会保障負担と公的
債務という用語の分析により、ネオリベラル語法が如何にこの技法を用いているか示したい。
   
以上二つの操作により、ネオリベラル語法は人間をモノに転換し、モノ(商品、カネ、資本)を、人間が従うべき超人的な力に転換する。この意味でネオリベ
ラル語法はある程度まで、マルクスの言う経済的物神崇拝の言葉になっている、というのが私の結論である。
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Sandra Schaal

「価値観の存続と近代性― 戦前日本における女性製糸業労働者の場合-」
1868年の明治維新に続いて日本社会の近代化を促進した日本政府は、女性(特に職業をもつ女性)に対する対立的な期待をもっていたと言える。これ
らの期待は、資本主義の発展と、近代的な民族国家が求める新しい多様な(経済的・社会的・道徳上の)要求に即応する女性の育成の必要から発生
した。
   
1890年代後半に入ると、繊維業の女性労働者(女工)をはじめとする職業をもつ女性は、女性の職業分野の広がりによって非常に目立つ存在となり、
「女性の天職」に関する活発な議論を引き起こした。女工という存在の分析は特に、女性の地位や役割についての、支配階級の言説における大きな矛盾
を浮き彫りにする。彼女は、工場内における仕事を通じて国の経済的な発展に貢献すると同時に、天皇制国家の支配の時代に入ってから、妻・母としての
役割を通じて家父長制的な「家」とその価値を守る任務を背負わなければならなかった。
   
本研究は、戦前日本の女性製糸業労働者がこのような期待をどのように認識していたのかを明らかにすることを目指した。
   
元製糸女工を中心とする聞き取り調査の結果と糸ひき歌の分析から得られた結果の検討から、当時の社会と家族の価値観は彼女たちに大きな影響を及
ぼしたということが明らかになった。女工になるという決定はしばしば家族の戦略の結果であった。こうした家族の戦略が、経済的な理由にのみ基づいたという
よりも、むしろ経済的な要因と文化的な要因との相互作用によるものであった。家族は、その当時の労働市場の制約と歴史的な状況に応じて、そしてそれ
と同時に、社会的かつ文化的な要請・習慣に応じて、戦略を立てた。女工たちは、親孝行をすること、苦労すること、さらに辛抱することが「良いこと」である
という考えのもとに育てられ、それ故実家(または国)のために工場で働きに行くことを当然だと思っていた。若い時から家の仕事で苦労することに慣れていただ
けに、それは、彼女たちにとって普通のことであったのだ。当時の農村社会においては、家族と離別して辛い目に遭うことは、文化的に重要視されていた「義
務」の一種であると見なされていた。女工たちは、こうした義務を果たすことを通じて、彼女たちの家族や農村のコミュニティにおける社会的なステータスをもた
らした「社会的な資質」も獲得することができた。
   
一方、出稼ぎ型賃労働が女工にある程度の独立心や満足感を与えた。10代で働きだした大多数の女工にとっては、故郷から離れて工場に従事すること
は、両親の監視から解放され、家制度が支配する当時の農村では経験のできない近代的な都市生活の楽しみを得る機会であった。勿論、たいていの女
工たちは、自分たちの家族の影響から全く解放されたわけではないし、家族の価値観と対立する個人主義的な価値観を優先するようになったわけでもない
が、工場で働くことによって経済的な自立を勝ち取ることができ、消費生活を実現することができた者もいた。このように、従来の研究が否定的に描き出してき
た製糸工場の生活は、女工の一部にとっては、近代社会のきらびやかなかがやきに向かって開く窓を与えたと言えるだろう。
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Françoise Olivier-Utard

「グローバル化(Mondialisation)と国民アイデンティティ」
経済のグローバル化は各国の政策の追求に反し、ある意味で世界市民となることはもはや全く市民ではなくなることである、と言われている。
   
Globalisation/Mondialisation
フランス語では英語では一語で表すグローバル化にGlobalisationとMondialisationという2つの言葉が使われている。この2語は完全な同義語ではない。

Mondialisationは空間を参照する。貿易は増加し、複雑化した。モノと情報の流通手段の発達のおかげで、貿易の規模は世界的なものになっている。こ
の語においては貿易の経済的な描写の領域にとどまっている。
   
Globalisationは、問題の相互接続と、特に政治が商業・金融市場の支配下に置かれることを参照している。この用語は即ちある構造を参照する。暗黙
裡にアメリカの覇権モデルへのレファレンスがある。従ってフランス人対しては「全体主義的」な計画を隠蔽する方がよいとされた。これがglobalisationではな
い別の言葉が選ばれた理由である。
   
フランスではグローバル化(mondialisation)はどのようであるのか?
他国と同様に、外国資本による企業買収が多数おきている。トランスナショナリティが存在する。なぜならば資本の起源は多様であるからだ。2種類の決定
が重要である。第一に株主の利益の優先で、そのから高い利潤が上がっていても雇用の削減を行うようになる。第二は人件費がいまだに低廉な外国への
生産拠点の移動である。これらの決定は双方とも、不平等の拡大と失業率の上昇につながる。この資本主義の歴史上の新段階を擁護する人々は、市
場がすべてを調整でき、従って全ての者の利益のために市場の機能を阻むものすべてを撤廃しなければならないと断定している。このモデルはアメリカのもの
で、覇権的な様相を呈している。
   
このようなグローバル化が国民国家の機能に与える影響はいかなるものだろうか。逆説的に、国家の消滅ではなく、国家権力の強化を導く。そこには当面
2つの理由がある。まず、投資家たちは、外国投資家であれ国内投資家であれ、自らの目的を達成するための支持が必要である。自らに有利な法律を
作る国家を必要としているのである。
   
他方、生産拠点の移動と拡散の論理は、将来的にはエネルギー・コスト上昇のために限界に至る危険がある。そこで生産拠点の国内回帰、近隣性の追
及へと傾向が変わることになるであろう。
   
グローバル化と国民アイデンティティ
問題は資本主義者たちの暗黙の、或いは口に出せないスローガンが「ステートにはイエスだが、ネーションにはノー」であることだ。何故なのだろうか。
経済には、中世における国民国家の創生の枠組みにあってさえも、重要な国際的側面が常に存在してきた。時代とともに国民アイデンティティは変化した。
現在それは両義的な課題となっている。国民アイデンティティは要求されるのと同時に攻撃されている。二つの矛盾する現象が共存している。
-欧州統合における国民国家の計画的終焉
-外国人嫌いを伴う、アイデンティティに関する閉鎖的態度
   
アイデンティテイに関する閉鎖性の表れとしての人種差別とポピュリズム
国民の象徴はスポーツと、市場の研究法則から一部逃れている研究に限られる傾向がある。国民の遺産の価値称揚は、国民性の確立のまた一つ別の側
面である。フランスで文化を商品化から保護する文化特例もまた、国民アイデンティテイを擁護しようという意図故であると考えなければならない。しかし、はる
かに退行的な現象、アイデンティティにまつわる閉鎖的態度が、経済危機に直面したパニック感から作用する。
   
フランスではこの閉鎖的態度は現在、移民の拒否と統合の拒否という2つの形式をとって現れている。アイデンティティに関する閉鎖的態度は言わば誘惑で
あり、最も要求の低いレベルヘの画一化と不平等の拡大をめざす体制を恐れて市民がそこに逃れこむ。ポピュリスムの選挙綱領は堂々と社会的差別や国
境の閉鎖や反動的な価値への回帰を訴え、全ての社会階層から歓迎される。人種差別がますますあからさまに、罰されることなく現れている。容貌だけで
犯罪者とみなされたり、罵言、採用拒否、住居の賃貸拒否などである。
   
実際の、或いは空想上の人種差別の犠牲者たちの反応は激しいもので、別の方向にむかわせることは難しい。移民の子供たちにとっては、共和主義の契
約(自由、平等、博愛)は守られていない。そこで彼らは法律を拒絶し、犯罪を犯してマージナルな存在となり、ついには烙印をおされたものとなる。「移民と
国民アイデンティティ」省の設立によって、適応が常に必要とされてきた場に規範が制定され、統合のプロセスがおそらく更に乱されることになるであろう。このよ
うな状況のもとで国民アイデンティティを定義することは、それを固定化することである。
   
アイデンティティの閉鎖性は不安定性が全般に広がっていることに並行して進んでいる。果たしてその拡大を阻むもの、オールタナティブな提案はあるのだろうか。

右派の新ユートピア、コスモポリティズム
それはグローバルな計画、来るべき世界のための一種の新たなユートピアである。ネオリベラルな企業の戦略的力は、それらの企業の要求にはあまりにも従属
しなさすぎるような国には介入しないことにあるので、その組織だけでそれらの企業の道を阻むことができるような政治組織は、歴史が作り出したままの国民国
家を廃棄し、世界政府を作ることになるであろう。
結局それは歴史を否定しようという意志である。その点において、そのような政治組織は確実に右派の覇権的計画に仕えるのである。
   
左派の計画欠如
左派のパラドックスは、計画の欠如が成功の代償の一形式であることである。なぜならば、確かに左派の思想は結果を出してきた。健康、教育、文化など
の領域においてである。従って、市民権は、共和主義のスローガンの「友愛」の現代ヴァージョンだが、未来に関する問いの中心にある。今のところ、考察の
方向性として三つが重要となっている。市民の介入が可能なレベルを考え直すべきであり、規範による画一化の限界と、北と南の国家間の関係についても
考える必要がある。
   
フランスでは、啓蒙思想に端を発する普遍主義文化が、勢いに乗って、ネーションをあえて存続させつつ、自らを新たにすることができるのではないだろうか。
市民権の行使の条件を新しいものにするという条件のもとで、一般的なもの(人権)は、文脈によるもの(一国の政治生活)と両立するのである。
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