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タブレットPCとテレビ

私のまわりにもIpadのようなタブレットPCを使う人がちらほらと出てきました。全員がパソコンも使いこなしている人達なのでIpadとパソコンの棲み 分けをきっちり守っています。ひとりは読む端末に特化しており、モバイル環境に接続しています。文字で発信する場合、自宅や仕事場のパソコンを使います。 もう一人は、携帯電話は契約せず、Ipadをモバイル環境で使い、家族との連絡はもっぱら電子メールで行っています。私はと言うと、近い将来にタブレット PCを導入する予定はありません。

スマートフォンにしろ、タブレットPCにしろ、パソコンの機能を小さな空間に閉じ込める技術が安くなったから可能になっただけであり、それほど画期的な製 品であるとは思いません。ホリエモンの対談を聞いたら、もし東京拘置所に入っていなければ、自分がIphoneのようなスマホを作っただろうと語っていた ので、別にアップル社が作らなければ他の会社が、IphoneとIpadの同等物を作っていただろうと思います。

アッ プル社の社長であるSteve Jobsが死んで、世界中で彼を崇拝する人が多いことを知りました。日本の書店では彼の自伝が平積みにされているし、12月に訪れたフランスの空港でも同 じ扱いを受けていました。私はどうして彼がそれほどまでに注目を浴びるのか今ひとつ理解できません。私の職場ではマック一筋の同僚が少なくな く、一時期はパーフォーマとかなんとかいうモニターと本体が一体になったのをもらってサブマシンとして使っていたこともありますが、その頃使っていたPC と比べてどこが抜きん出て優れているのか全く理解できませんでした。ユーザーインターフェイスの違いなど大差がないし、それどころか、モニターが小さいこ とや傾きを調整できなかったことが不満だったし、何より、クリックボタンが一つしかないのが不満でした。という訳で、私は、OS/2、Win98、 WinXP、UbuntuとPCばかり使ってきました。

私個人としては、Steve Jobsなどより、リナックスの創始者であるLinus Torvalds の方がずっとかっこいいと思うし、惹かれます。Computer History Museumが主催した彼の一時間半あまりの講演には大きな感銘を受けました。多くの人に見てもらいたいです。彼は頭脳明晰なスーパーオタクですが、深い 思索者でもあります。「哲学者」などという訳のわからない言葉は使いたくありません。深い本物の思索が出来る人だと思います。私の頭脳などどう転んでも真 似は出来ません。あとは、行動するITリーダーとしてUbuntuの創始者であるMark Shuttleworth も好きです。彼が頑張ってくれているので、私はUbuntuを無料で使うことができます。超金持ちですが、ビル・ゲイツなどと違って普通の人の幸福を考え ている人です。

タブレットPCの話に戻ります。実は、タブレットPCについて考えることになったきっかけは、最近のUbuntuの動向と直接に関係しています。 Ubuntuのユーザインターフェイスは、今まで、遊び心満載で、使っていて結構楽しかったのですが、来年の4月からタブレットPCのユーザインターフェ イスとの融合を図ったUnityというものをデフォルトにします。今までのウィンドウマネージャがどういうものだったか知りたい人は、ネットビデオで、 「Ubuntu, 3D desktop, compiz」などとキーワードを打ち込んで見てください。複数のデスクトップを3次元空間に設定したりすることが出来ます。性能の高いビデオボードを使 えばアニメーション効果もてんこ盛りです。このようなデスクトップ効果は、パソコン本来の機能とは全く関係のない遊びの世界ですが、このようなことが出来 るから、ウィンドウズでもなくマックでもないLinuxを使いたいというファンが多くいたのは否定できません。それが来年からUnityが本格的に導入さ れること により、そのような部分の多くが削られることになります。私はこの変化を歓迎はしていませんが、抗おうともしていません。もともとLinuxはユーザが好 きなように作り変えることが出来る柔軟性を持っており、ログインするときに複数のインターフェイスを選ぶことが出来ます。マックやウィンドウズなら1種類 のインターフェイスしか存在せず、それがユーザの使い勝手を規定していますが、UbuntuのようなLinuxはそうではありません。窓の操作法やボタン の位置など使い勝っ手がまるで異なる複数のインターフェイスからログインの時に選ぶことが出来ます。ですから、デフォルトがUnityになっても別のイン ターフェイスを選ぶことが出来る柔軟性は決して失われることはないでしょう。なぜなら、それがLinuxの本質に関わっているからです。私企 業のお仕着せではなく、皆で作るOSであるというのがLinuxの素性の根幹にあります。

とは言え、時代の趨勢はタブレットPCに傾いているのかもしれません。世界を飛び回って仕事をしている人にとってはパソコンなど軽ければ軽いほどよく、画 面に表示される仮想キーボードの使い勝手が向上すればパソコン並みの機能性が確保でき、時代は一気にタブレットPCに向かうかも知れません。事実、空港な どで短いメールを仮想キーボードを使ってすばやく打ち込んでいる人を見かけます。ただ、数十年の歴史を持つキーボードの使い勝手がそれほど簡単に凌駕され るとも思えないので、キーボードとモニターを蝶番で折り畳む構造になっている現状のポータブルパソコンの牙城がそれほど簡単に崩れるとも考えられません。 本格的な発信の道具としてパソコンが生き延び、タブレットPCはホームページや書類の閲覧やメールの送受信という風に機能を特化していくのかもしれませ ん。ただ、上述したようにユーザーインターフェイスをパソコン用とタブレットPC用に別のものを開発するのは手間がかかるのでUbuntuのUnityの ように統一が図られていくのは避けえないのかもしれません。

以上、現存するパソコンとの比較からタブレットPCを見てきましたが、もう一つの新しい側面があることに気づきます。例えば、ウェブ検索でタブ レットPCと打ち込むと筆頭に現れる記事はテレビとの関係をうたったものです。店の宣伝やテレビのコマーシャルにも、うちの製品を買うとテレビがいらなく なるよ、という売り口上が聞こえてくるようになりました。これはどういうことかというと、新しい世代のユーザは、パソコンに習熟することなくどちらかとい うと受身のメディアであるタブレットPCをテレビの代用物として受け入れていく可能性があるということです。

私は一連のエッセーを通じてテレビというメ ディアが終わっていると何度も主張して来たので、タブレットPCという殻をまとってテレビが延命していくことを喜ばしく思っていません。テレビは受身のメ ディアであり、中身は嘘ばかりです。早く死んでくれと思っていたのに、タブレットPCという手強い敵が現れて来ました。最近ショッピングモールでIpadでない別の会社のタブレットPCをいじる機会がありましたが、仮想キーボードはほぼ使い物にならないレベルでした。テレビの代わりに使われることを前提にして作られているようです。
(Dec. 2011)


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