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高貴な嘘

プラトンの『国家』の中に高貴な嘘という表現が出てきます。英訳では、noble lie です。『国家』は抜粋を英語で読んだだけですが、基本的に反民主主義を主張していると理解しています。高貴な嘘というのは、平民よりあらゆる面ですぐれて いるとされる哲人王(philosopher king) が平民を統治するためにつく嘘のことです。社会に、支配者、兵士、労働者という三階級の身分制度が存在しているとします。哲人王はその制度を維持固定する ために、支配者は金、兵士は銀、労働者は銅でできているのだ、というお話をでっちあげて騙すというのです。古代ギリシアだったらそのような見え透いた嘘が 通用したのかも知れません。そもそも住民の大多数が読み書きが出来なかったのですし、DNAやタンパク質なども発見されていない頃なので、心臓の中に金や 銀や銅が入っており、それが身分を規定しているのだと説明されれば反論も出来なくて、そんなものなのかなと騙されてしまうのでしょう。金、銀、銅は異なっ た元素なので、細工をすれば銅が金になるということはありえず、身分を固定するために為政者がつく嘘としては、よく出来たものなのかもしれません。

森鴎外の「かのように」という短編にも似たような考えが出てきます。ドイツに留学した華族の秀麿がドイツで習った帝王学について考えを巡らす所がありま す。ドイツを統治するには宗教という土台が必要である。しかし、教育を受け学問をするればするほど神や神話などは信じられなくなり、事実信仰のない人も多 い。しかし、為政者は統治のために宗教を必要とするのであるから、信仰を持っているふりをしなければならない。つまり、嘘をつかなければならない。この秀 麿の考えは、鴎外の考えそのものであった可能性があります。

哲人であろうと凡人であろうと、王は戦争をします。戦争には嘘がつきものです。というか、戦争の本質は敵を騙すことです。そのためには、味方を欺くのもあ りです。よく使われる手法は、挑発したのは自分であるのに、敵が先に攻撃したと自国民向けに宣伝し、戦意を高揚するという戦法です。どんな嘘でも、卑劣な 作戦でも戦争では何でもありです。私は士官学校に行ったことはありませんが、このような戦法としての嘘のつき方は教科書に載っているそうです。戦争が王に とっての重要な仕事であるなら、嘘をつくことは王にとって必要な条件であるといえるでしょう。

さていきなり時代が下って、2011年の福島原発事故です。

この世界的な大事件をめぐって飛び交っている嘘はあまりにも多くてまたあからさまなので、情けなくなってしまいます。東電がつく嘘、政府がつく嘘、政府の 立場を補強する学者がつく嘘です。「直ちに健康に害をあたえるものではない」というのは厳密には嘘ではありませんが、そんな気休めを言ってもらっても何に もならず、ただいらいらを増すだけなので、やめてもらいたいと思います。これらの嘘は、プラトンが言うところの「高貴な嘘」なのでしょうか。あるいは、福 島原発事故という前代未聞の「戦争」を戦う、王=将軍が戦術として使う嘘なのでしょうか。

そのどちらでもないことは明白です。今福島で起っていることは人類史上前代未聞の出来事であり、超人的なエリートであっても制御不能です。嘘をついてどう なるというような状況ではありません。それに、大前研一さんが、事故発生直後に収録したビデオで語っているところによると、民主党の議員の誰も、甚大な原 発事故の収束についての基本的な知識を持ち合わせていなかったようです。原子炉を安定した状況に持って行くまでに最低5年かかると言ったら仰天していたと いうことなので、政権を担当する民主党の上層部と私の間には、差はありません。私の場合、この2ヶ月のにわか勉強で、核物理学、原子力工学や放射線疫学に ついて一般人の平均より詳しくなりましたが、事故直後は民主党上層部の無知ぶりと何も変わることはありませんでした。オバマさんにしろ、菅さんにしろ、今 日の政治家のほとんどの危機管理能力は、私などの一般人とほとんど変わらないでしょう。

もうひとつ、指摘しなければならないのは、プラトンの古代ギリシャと21世紀の日本の政治体制が全く異なっていて比較にならないという事実です。人口規模 と科学工学の発達度がまるで違います。官僚機構、実業界やメディアなどの複雑な権力機構が他にもあって、政治の最高責任者が制御できる領域は限られていま す。事故が起こるまでは、東電がメディア、政治、産業を様々な方法で支配してきましたが、その支配も将来にわたって維持することは難しいでしょう。
(June 2011)


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