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黒澤明の『夢』 第六話 噴火する富士山

黒澤明監督の『夢』という作品を久しぶりに見ました。全部ではなく部分的にそれもネットビデオという形でです。最初に見たのは何時どこでだったか全く思い 出せません。劇場で見た記憶があります。日本では広く公開されなかった作品らしいので、ひょっとしたら90年代の夏よく訪れていたニューヨークで見たのか も知れません。

この作品は、漱石の『夢十夜』のように作者が見た夢を語るという構成になっています。漱石作品と違うのは夢の数です。

この作品のなかでもっともつよく記憶に残っていたのは、狐の嫁入りのシーンとトンネルの中から現れる自爆犬のシーンです。映画というものは、何と言っても 視覚芸術なので話の筋などはすっかり忘れてしまっても、映像を覚えていることが多いものです。映像の内容を覚えていなければ、その輪郭や表情を覚えている ことがあります。黒澤の『夢』について語ってくれと言われたら、おそらく、このふたつのシーンについて語っただろうと思います。福島原発の事故を経験する までは。

2011年10月の現時点でこの映画を語るとすれば、6番目の夢を外すことはできないでしょう。私が、『夢』を20年ぶりに見直すことになったのは、原発 事故関係のクリップをネットビデオサイトで漁っているうちに、この挿話に遭遇したからです。6番目の夢は、富士山の噴火と同時に原発が事故を起こし、避難 する群衆が逃げ惑う光景を描いています。

福島の原発事故をきっかけにして、この挿話を再鑑賞してみると、全く忘れていたのではないことに気が付きます。人間の脳は恐ろしい能力を持っており一回見 たものの痕跡はどこかに刻まれていると考えていいと思います。黒澤の『夢』の一挿話として思い出せなくても、20年ぶりに見ると、かつて見たことは覚えて います。記憶をたぐり寄せる経路が寸断されていても、直接糸を垂らせば食らいついてきます。

ではなぜこの挿話がそれほど記憶に残らなかったかというと、ひとつには90年代初頭の私がそれほど原発問題に関心を抱いていなかったことと、もうひとつに は最初に見たときにこの挿話をそれほど高く評価しなかったということが理由として挙げられるでしょう。今思い返すと、この挿話の描き方は映画的というより 演劇的なので映画作品としてそれほど成功しているとは考えなかったのだろうと思います。それから、評論家にありがちなのですが、政治的なメッセージを直接 的な形で伝えるのは野暮であり、もっと微妙にほのめかす形で伝えるのが高尚である、という判断様式の癖を知らず知らずのうちに身につけてしまっていたということもあるかもしれません。勿論今は平時ではないのでそのような態度を取り続けることは不可能です。

それでは何故、90年代初頭の頃、私の原発に関しての関心が薄かったのか、という問題については、私がチェルノブイリをアメリカで経験したということが少なからず関係 していると思います。その頃私はニューヨークにいて、タイムズを読んでいました。日本では東北がホットスポットになり放射能汚染が話題になったようです が、ニューヨークでは全く話題にならず、記事の焦点はソ連の報道規制に対する批判が中心で、ゴルバチョフのグラスノスチという文脈の中に位置づけて、我が 自由主義陣営は冷戦に勝利しつつあるというような論調が主流でした。今から振り返ると洗脳されていたと思います。「冷戦」などというお話はアメリカの軍産 複合体が軍事費を国からせびるためにでっち上げた作り話に過ぎず、「テロとの戦争」と同じです。今のアメリカはどんどん柔らかなファシスト化が進んでいて (まあ日本もそうですが)もしニューヨークの近くのインディアンポイント原発が事故ったら、去年のBPメキシコ湾原油流出事故のように報道規制を敷くのは 間違いありません。自由報道協会が東電の記者会見をネット公開するような自由も許されないかも知れません。

黒澤明が『夢』であの挿話を作ったのはチェルノブイリ事故を身体のレベルまで降りて行って自分のこととして深く受け止めたからです。私にはその問題意識が 全くありませんでした。

今それがあるかというと有り余っています。名古屋の土壌の放射性セシウム汚染は事故前の10倍くらいでしょう。東京は百倍以上。福島はその百倍千倍万倍以 上です。プルトニウムは名古屋にも届いているでしょう。ストロンチウムも同様。土壌や空気中になくても海産物経由で体内に入ってくるでしょう。黒澤はセシウム 137について染色体に溜り奇形を生むと言わせていますが、私は、ベラルーシのユーリ・バンダシェフスキー(Yury Bandazhevsky)を連想せざるを得ません。彼は放射線セシウムの体内蓄積を研究したことが当局の怒りに触れ、8年間監獄にぶち込まれています。 ICRPは被曝による癌や白血病の発症ばかりを強調しますが、バンダシェフスキーは内部被曝により代謝が阻害され様々な臓器で様々な疾患が生じることを突 き止めています。彼の論文はネットで簡単に読めますが、日本政府はあたかも存在しないかのように振舞っています。放射線医学のドグマがひっくり返ってしま うことを恐れているのでしょうか。無知に呆れていても仕方ないので、自衛するしかありません。

知らない人がいるかもしれないので、保安院発表の情報を引きます。今回、大気中に放出されたプルトニウムの量は次のとおりです。プルトニウム239: 32億ベクレル。プルトニウム238: 190億ベクレル。プルトニウム240:320億ベクレル。プルトニウム241: 1.2兆ベクレル。ストロンチウム90は140兆ベクレル放出されました。セシウムは137だけで広島原発の168個分です。
(October 2011)



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