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あほ、ボケ、バカ 

私は「あほ」という関西弁が結構好きで多用します。今は名古屋に住んでいて標準日本語や英語を話していますが、生まれと育ちは関西なので、「ほんまにあほ やで」とか「あほんだら」とか「あほちゃうん」などの表現は普通に聞いたし、自分でも使っていました。大体、人間というものはどんな天才秀才聖人君子でも 何十年も生きておれば、大失敗は避けられず、そんな時は、ほんまにあほやなあ、と周りから呆れられてもそれはそれでさらっと聞き流すのが関西人の一般的な 態度です。お前はホンマにあほやなあ、と言われてムキになって怒り出すのは、優越感に凝り固まって自分の無謬を心の底から信じ込んでいる霞が関のエリート 官僚だけかもしれません。あほということばを多用する文化は、この人間という動物が持つ不可避の愚かさに対して冷めた寛容の精神を示しており、賞賛されて もいいくらいです。「上から目線」とは違います。あほやなあ(あほやん)と言う人は、自分がいつか周りからそう言われるということを前提にして言っていま す。お互い様ということです。しかし、これは犯罪的な大失態を起こした者を免罪するというのではありません。これだけ大地震が多発する日本列島に原発を 54機も作ってしまったというのはあほとしか言いようがありません。そのあほである東電と経産省(政府)はなんらかの形で裁かれないとダメです。でも、そ れは歴史が別の方向にころんだらあほと言っている側があほと言われる側にまわったかも知れないという可能性を納得した上の話です。

ほんとに世の中はあほばかりだというのが偽らざる感想です。街をうろついている普通のアホ。「保安院全員アホ:ほあんいんぜんいんあほ」という回文によって小学生に馬鹿にされる保安院全員。有名大学教授で一般的には偉い先生だと思われているが実は相当 のアホ。ゴールドマン・サックスの取締で俺達は神の御業をやっているんだと公言してはばからないロイド・ブランクファインという度を越したアホ。世界中こ れだけあほばかりでよく毎日経済活動を営み食卓に食べ物を運ぶことができているなと感心します。オーストラリアの砂漠ならアボリジニに淘汰されて確実に餓 死しているでしょう。

グローバリゼーションのおかげで極端な貧富の差が顕在化し、世界は事実上貴族社会のようになっています。福島の有機農家などどんなに働いても儲からず、世 界で一番儲かるのは量的緩和でジャブジャブになったマネーにレバレッジを効かせて行うギャンブルです。ギャンブルを仕事だと思っているのだから19世紀帝 国主義の頃の貴族より質が悪いと言えるかも知れません。リスクをヘッジするために作り出された道具を使って火遊びしてシステムリスクを最大限にし失敗した ら税金で助けてくれと政府におねだりです。あほとは言えその犯罪を平民である我々は許すわけには行きません。チャールズ・ダーウィンは貴族で仕事をする必 要がなかったかわり、遊びで科学をやっていました。今日の世界の貴族は、せいぜいMLBクラブの経営くらいしかできないのでしょう。仕事としての金儲けは 独占企業経営か、金融が堕落したギャンブルです。大金持ちのボンクラはどの時代にもいましたが、21世紀初頭の世界の貴族たちのあほぶりは史上最強と言え るかも知れません。

デイビッド・ハルバースタム (David Halberstam) というアメリカのジャーナリストに The Best and the Brightest (最良の最も聡明な人々)という著作があります。米国ジャーナリズム史において古典とみなされている名著です。JFKからLBJ の政権下で国防長官や国務長官としてベトナム戦争を遂行したエリート官僚たちの失敗を扱っています。Bright というのは頭がいいという意味であほの反義語です。彼らのような頭がいいとされているエリートが情勢分析を誤り、戦争反対を唱えてデモをする一般民衆の歴 史認識の方が正しかった、という視点から書かれています。

この書物の中の主要登場人物のひとりが国防長官のロバート・マクナマラ (Robert McNamara) です。彼は、実は在任中も自分の政策について心理的葛藤があったらしく、1995年に自分が間違っていたと認める回顧録 (In Retrospect: the tragedies and lessons of Vietnam)を出しています。のちにErrol Morrisが彼をインタビューしてThe Fog of War (2003)というドキュメンタリ映画を作りました。マクナマラはフォード社の社長を経て、国防大臣に就任し、その後、世界銀行の頭取を務めるという経歴 を持った世界のパワーエリートです。数量分析による経営手腕で知られています。学業成績も優秀で民間での実績も一流なので、ブッシュなどのボンクラ大統領 の下で仕事をした閣僚より優秀であったと考えられています。事実、Operation Northwoods(ノースウッズ作戦)というキューバ侵攻作戦はJFKとマクナマラが事前に却下し、実現しませんでした。もし実現していたなら、 911並みの謀略として歴史に名を刻んでいたでしょう。ノースウッズ作戦は、米国客船を故意に沈没させてキューバのせいにし戦争をはじめるというものでし た。

マクナマラの肉声は複数のインタビューに収録されておりネットで聞けます。たしか、Terry GrossのFresh Air だったと思いますが、彼が豪華客船に乗って旅行した時の経験を語ったのが忘れられません。その日、彼はある見知らぬ乗客と看板の上で会話をはじめ、相手が マクナマラであると知ったその乗客は激怒し彼を海に突き落とそうとしたそうです。抵抗して結局海に落ちて溺れずにすんだのですが、自分のやったことの罪深 さを思い知らされたと述懐しています。在任中の彼は、ドミノ理論を信じ、ベトナム解放軍を米軍のように統率の取れた近代的な軍隊であると誤解していまし た。数学に秀でた優秀な頭脳であっても異文化を正しく理解するための想像力も経験も欠如していたと気づいたのは随分後になってからです。アメリカがベトナ ムと国交を回復してかつての敵であるベトナム軍の高官と交流し始めてやっと自分の愚かさに気づいたと言っています。トンキン湾事件が米軍のでっちあげであ ると理解したのも一般アメリカ人よりずっと遅れていたでしょう。彼を看板から突き落とそうとした乗客にしてみれば気づくのが遅すぎだろと唾棄したい気持ち だったに違いありません。

同じことが原発を選んだ日本の政治家やエリート官僚についても言えます。国民は、誰がどう行動したかを記憶しています。首相経験者でもなければボディガード もつかないでしょうから、豪華客船の看板上でぼんやりしていたら海に突き落とされたということにならないよう気をつけてください。まずは、自分があほだっ たという認識を持つことから始めてもらいましょう。放射能による殺人は爆弾による直接の殺戮よりある意味で残酷です。将来何世代にもわたって傷跡を残すか らです。

「あほ」の次は「ぼけ」です。

「ぼけ」という表現もよく関西弁では使われます。どちらかというとあほより子供っぽい表現かも知れません。「ぼけなす」というのは「あほんだら」ぐらいの 意味です。関西弁のぼけというと、漫才の「ぼけ」と「つっこみ」を話題にすべきなのでしょうが、私は日本語の漫才をそれほど見ないのでよくわかりません。 ただ、つい最近、ぼけについて新しいことを発見しました。

「ぼけ」という英語の表現があるのです。bokehと綴ります。別稿で最近写真を再発見したことを書きましたが、それまで写真について英語で情報を得よう としたことがなく、レンズのボケ味という日本語の表現を聞いたことがあっても、それが英語に輸出され、bokehという英語になっているとは夢にも思いま せんでした。

なぜ、bokehという英語があるのかというのは興味深い問題です。英語で写真を語る上でbokehという日本語から輸入した用語を使わなければならない というのは、それ以前にはbokehについて英語で話題にすることが出来なかったということを意味しているからです。似たような概念が全くないとは言い切 れないでしょうが、bokehという英語を手に入れて初めて明確な概念を手に入れたと言えます。残念なことに私はポートレート写真などを専門にするプロ写 真家が、「ボケ」と「bokeh」をどのように日本語や英語で使っているかについて、細かいニュアンスを含めての知識が足りません。私自身、ボケ味にこだ わってレンズ選びなどしないので、こだわりを持つ人の感覚は英語でも日本語でもよく理解できないのかも知れません。

ただ、bokehという言葉が英語に直輸入されるという事実は、日本のカメラ産業の圧倒的な存在感を示しています。ライカやハッセルブラッドのような特別 なブランドも存在しますが、主流は圧倒的に日本のメーカーであるし、技術開発も日本のメーカーが群を抜いています。しかも、その数が多く、世界の市場を求 めて日本人同士で熾烈な競争を続けています。日本の写真愛好家の中には、「ハイアマチュア」という玄人はだしのアマチュアがいて、彼らのこだわりが製品の 開発に生かされているのは間違いありません。桜が咲いている公園に行くと、重たい機材をぶら下げたお年寄りのアマチュアカメラマンが沢山います。以前は、 そんなプロ仕様のカメラ必要ないだろ、と冷めた目で見ていましたが、最近は日本のカメラ産業を支えているのは彼らだと考えるようになりました。

カメラはライカを買ったとしても別荘やスポーツカーやヨットクルーザーのような大きな買い物ではありません。道楽としては慎ましい部類に入ります。一般向 けのカメラを加えれば世界の市場は巨大ですが、参入する企業の数も多く、薄利多売の熾烈なマーケットです。カメラ市場を見ていると、勤勉で正直な日本の労 働者に思いを馳せ、原発・核産業や軍事産業や金融業のいかがわしさに怒りを覚えます。ミサイル撃墜システムの性能なんてカタログを見てもわかりません。ア メリカだけしか作っていないので競争がなく適正価格なのかどうもわかりません。競合する他社の製品と実際に使ってみて比較検討してから購入を検討するなん て出来ないからです。それと比べると、デジカメ一眼のオートフォーカスの出来栄えはカメラ屋で実際に比べられます。メーカーによって歴然とした差がありま す。こんなマーケットで競争しなければならないエンジニアには同情しかありません。

民主党の前原さんは、日本企業も軍事産業に参入出来るよう規制緩和をやりたいようです。まあ、国がどんなルールを作ろうと世界の巨大企業はそんなものはか いくぐって好きなようにやるでしょう。前原さんの場合はアメリカからの要求を代弁しているだけなのかもしれませんが、じっくり考えてみてもらいたいもので す。前の世界大戦以前には軍縮会議などを定期的に開き各国の軍事産業にはある程度の歯止めがかかっていました。今は、全くありません。国の軍隊が敵になら ないので、本当の敵は「テロリスト」であるとアホの一つ覚えで繰り返しています。911などでテロリストをでっち上げたりしているうちに、軍事費に歯止め がかからないようになってしまいました。

日本では、写真のアップロードサイトなどに行くと、ポートレートや接写写真の「ボケ味」について延々と議論が続いていたりします。なんと平和なことかと思 います。ちょっとくらい貧乏でもいいからこの平和が続いて欲しいと願ってやみません。

ボケの次は、バカです。

私は時々、関西弁で「あほ」と言う感覚でバカということばを使う時があります。厳密に言うと標準日本語のバカは、関西弁のあほと同一ではないのかもしれま せんが、私の母語は関西弁なので、どうやら第二言語である標準日本語に干渉しているようです。標準日本語圏ではバカというのは関西弁のあほと違って聞き流 すことの出来ないような強い意味を内包しているのかもしれません。でも、その辺は私にはよくわからないので私にバカと言われてもそれほど気にしないように お願いします。

(June 2012)


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