UIROT研初のシンポジウム!3月例会のお知らせ

UIROT研初のシンポジウム!3月例会のお知らせ

 

提題者:三浦玲一氏(名古屋大学言語文化部)
     長畑明利氏(名古屋大学言語文化部)
日時:3月28日(木曜日)午後4時から
場所:言語文化部棟31号室(旧言語センター3階)
題:「アメリカの新しい文学とコンピューター」


提題者レジュメ:


 インターネットの流行に見られるように、日本でもコンピューターとコンピューター・ネットワークを利用する環境が日常生活に浸透しつつある。このような新しい社会状況は様々な観点から分析しうるものだろうが、しばしばテクノロジーの発達と相対するものとみなされる文学の世界にも、この技術革新の波は確実に押し寄せつつある。今回のシンポジウムでは、一足先にコンピューター社会を実現したかのように見えるアメリカにおいて、新しい文学(ここでは小説と詩の)がこの技術革新とどのように関わっているかを報告し、文学における創作活動とコンピューターとの関係についてどのように考えることができるか検討してみたい。

1. 「ハイパーテキストの終わりと始まり」(三浦玲一 )
 フロッピィ・ディスクに入った小説、初めからコンピューター上だけで読まれることを意図して書かれた小説、が何年か前から、アメリカで作られております。その代表作として燦然と輝く Afternoon, a Storyをちらちらと読みながら、以下の問題について考えてみたいと思います。

1)もっと広くガンガン行われている既存の印刷テキストの電子化とハイパーテキス トはどのような関係にあるのか?
2)(上と関係して)Afternoon を、印刷されてなくても「小説」と考えるとき、 それは小説におけるメディア論とでもいうべき視点を導入しないか?それはどういうことか?
3)(上と関係して)コンピューターのメディア論が一般的に持つイデオロギィ、自由なアクセスが完全な民主性を達成せしめる、テクノロジィの最終的な勝利!、は、どっか胡散臭くないか?胡散臭いとしたら、それはどこか?
4)(上と関係して)テクノロジィによる新しい表現形態の出現は、一見、文学史への事件(文学史の必然とは全く関わりなく、文学の外部の出来事が文学に与えた一撃 )のように思えるが、それは本当か?
5)(上と関係して)いわゆるポスト構造主義の言語観と理論がハイパーテキストにおいては、そのゼロ度で(完全に)達成されているように思われる。じゃあ、それは どういうことか?
6)以上を踏まえて、ハイパーテキストとは何なのか?そのイデオロギィは?

2. 詩とコンピューター・ネットワーク(長畑明利)
 コンピューター・ネットワークの発達に伴い、英語圏の詩人たちの間ではこの新たなテクノロジーを自分たちの創作に積極的に活かそうとする動きが出てきている。その主たる担い手は、実験的詩作に強い関心を持つ詩人たちである。今回の発表では、コンピューター・ネットワークの出現によって現代詩の世界がどのように変化しつつあるのかを、デモンストレーションを交えながら概観してみたい。その際に考えてみたいのは主として以下の4点である。

(1) エクリチュールの革新
(2) 出版形態の変化
(3) オリジナリティーの消失
(4) 技術的環境の不平等

コンピューター・ネットワークと詩とのかかわり合いを検討することによって、詩そのもののあり方についても考えることができれば幸いである。


UIROT研事務局
長畑明利
email: e43479a@nucc.cc.nagoya-u.ac.jp
tel: 052-789-4702