18回国際エズランド学会報告

長畑 明利 

 
 関西国際空港から上海を経由して北京に着いたのは現地時間の夜9時過ぎであった。勝手の分からぬ初めての土地に夜到着す るのは避けたかったが、フライトの都合で選択の余地はなかった。両替をすませ、帰りの便の reconfirmation をし、タクシー待ちの300メートルほどの列の最後尾に立つ。China Air のブースにいた若い、英語の上手な女性が、リムジンをチャーターしないかと話しかけてきたのだが、断ってタクシーの列に並んだのである。出発の前日の夜、 一足先に北京入りしていた大阪市立大学の古賀哲男さんから、タクシーは30分待てば必ず乗れるとの連絡があったので、長蛇の列に臆することはなかった。横 入りする者が多いと聞いていたが、そんなこともなかった。飾り気のないコンクリートの高い屋根の下、旅行者の列は着実に前進し、予想通り30分後に、英語 をまるで解さぬ運転手が乗る赤いフォルクスワーゲンの助手席に収まることとなった。
 急遽参加を決めた国際エズラ・パウンド学会の開催地北京。学会の記憶もさることながら、帰国後も脳裏を離れないのは、ひしめき合う人々の胎動するエネル ギーである。スーツケースを押す者、子供をあやす者、携帯電話を使って話し続ける者??彼等の顔はうすら寒い蛍光灯のあかりに照らされて浮かび上がった。 パウンドがパリの地下鉄に見た青ざめた顔また顔を、20世紀末の研究者たちは、空港のタクシー乗り場で見たに違いない。しかし、それは都会の殺伐とした生 活に埋没するプロレタリアートの顔ではなかった。夜の空港前をゆっくりと進んでいく中国の人々の顔は、改革開放に鼓舞されたエネルギッシュな躍動感をみな ぎらせていた。花びらに喩えるには余りにも力強いその相貌は、ひとかたならぬ畏怖の念をすら生じせしめた。
 国際エズラ・パウンド学会は2年に一度、パウンドゆかりの地で開催されるが、今年は7月16日から22日にかけて北京で開催された。
 アジアでは初めての開催である。メインテーマは Ezra Pound and the Orient。論語を読み、能や漢詩を翻訳したパウンドに、そして中国での開催にふさわしい選択と言えるだろう。会場には北京外国語大学が選ばれ、50を 越える研究発表が実現した。参加者の出身国は、合衆国、カナダ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、ドイツ、スペイン、デンマーク、イタリア、 スイス、韓国、日本、中国など。開催国ということもあって、中国人あるいは中国系の研究者が数多く参加したことは、今回の大会の特色であろう。Mary de Rachewiltz もブルネンバーグからの長旅を厭わず、娘とともに出席して関係者を喜ばせた。日本からは筆者の他に、喜多文子、古賀哲男、Peter Makin、David Ewick、Thomas Heffernan、Dorsey Kleitz、Paul Rossiter の諸氏が参加した。家族連れも多く、会場のレストランで子供たちが微笑ましい姿を見せるのもパウンド学会ではお馴染みの光景である。
 宿泊には、北京外国語大学キャンパスのすぐ横にある FLTRP (Foreign Languages Teaching and Research Press) Tower と名づけられたホテルが用意された。広く、木を多く使った部屋は、世界の他の大都市のホテルと何ら遜色がないと感じた。タオルは勿論、歯ブラシも石鹸もす べて完備していた。部屋には中国茶のティーバッグと湯の入った大きなポットが置いてあり、毎日午後になると、従業員がポットを交換しに訪れる。従業員は若 い女性たちばかりであった。10階の窓からは、交通量の多い西三環北路が見え、その向こうには緑の濃い北京外語のキャンパスが見えた。空はスモッグでどん よりとしていた。
 この FLTRP Tower は、ホテルの客室のある North Tower と、Foreign Languages Teaching and Research Press のオフィスが入る South Tower とからなり、両方の Tower を結ぶ形で1階にレストランがあった。朝食と昼食及びコーヒーブレイクは、すべてこのレストランで取るようになっていた。食事は中華のバイキングが主で あったが、味も良く、量も豊富であった。昼食時には、研究発表での議論が持ち越されることも多く、ビールを飲みながら話し続ける研究者も少なからずいた。 ウェイトレスの中で英語を話すのは一人だけであったが、その人は八面六臂の活躍で、いかにも有能そうであった。別の参加者と、彼女はもしかすると北京外語 の学生で、研修を兼ねてここで働いているのかもしれないと話したほどであった。滞在3日目に、エレベーターの中で彼女にばったり会ったので、そのことを聞 いてみたが、答えてもらえなかった。どうやら不良ガイジンと間違えられたらしい。
 レストランの上階には Foreign Languages Teaching and Research Press のオフィスがある。英語関係の教科書、辞書などを出版している出版社で(日本ならさしずめ研究社といったところか)、広いオフィスのそれぞれには何台かの コンピューターが置かれていた。北京でもコンピューター化は着実に進んでいるらしい。過去に出版した書籍も陳列してあり、Longman の辞書や文学史の本などが目に止まった。
 研究発表には、South Tower 側の3室が用意されていた。一番広い部屋は8階にあり、ここは書籍展示、スライド使用の発表、総会にも利用された。書籍展示では、参加者が出版したパウン ド関係の書籍が陳列されていた。研究書の類もあれば翻訳もある。アメリカの学会の慣例に倣って、ここでも書籍を即売してくれるのかと思ったが、購入は出来 なかった。研究発表に使われた他の2室は、ビリヤード台の置かれた遊戯室の隣にある6階の部屋と、2階の、通常は会議室として利用されているらしい部屋で ある。
 研究発表は、各部屋同時に行われ、2人分の発表が終わると、コーヒーブレイクあるいは昼食となるようスケジュールが組まれていた。自分の発表が3日目に あったので、あまり多くの研究発表を聴く余裕はなかったが、最初の日には Helen Dennis の "Western Readings of Pound's 'China'"、Ming-qian Ma の "'Clock-tick pierces the vision': Packaged Time and Boxed Writing in Pound's 'The Pisan Cantos'"、Paul Wellen, "Pound's Super-Syncretistic Semi-Mystical Metaphysic: The Failed Attempt to Create a Universal 'Religion'"、Barry Ahearn, "Why 'Cathay'?"、Yoshiko Kita, "Pound and the Chinese Ideograph in the Imagist Movement" を聴いた。
 今回の学会のメインテーマが "Ezra Pound and the Orient" なので、パウンドの翻訳、漢字や孔子への関心を扱った発表が多いのは当然と言うべきか。扱われる作品は CathayThe Cantos に集中した観があるが、自分のものも含め、Ideogrammic Method を扱う発表も多かった。初日に発表した Ming-qian Ma は、94年にスタンフォードへ研修に出かけたときに知り合った中国系アメリカ人の研究者で、その後、いわゆる「言語詩人」についての論考を精力的に発表し ている。彼の発表は、パウンドの詩に見られる time と timing に関する考えを、孔子を引き合いに出しながら論じたものであった。Helen Dennis の発表は後半部を聴いただけだが、発表後の質疑応答では、パウンド及びパウンド研究におけるオリエンタリズムについてのやりとりがあり、興味が持てた。オ リエンタリズムは当然批判の対象として議論されていたが、逆に、アジア側における西洋文化の誤読の方にも焦点を当て、相互の比較が為されたら、議論はより 面白いものになったのではと思った。西洋=読み手、東洋=読まれるべきテクスト、という図式が自明のこととされているようで気になった。
 1日目の研究発表の後には京劇の観劇があり、バスに乗って、さるホテル内にある会場まで出かけた。劇は観光客向けのものらしく、客席にスイカやお茶が出 た。最初字幕が出ず、面食らったが、虎退治の話と「秋江」と孫悟空の話(「美猴王大鬧地府」)の3本立てであった。虎退治の虎はなかなか愛嬌があり、ま た、孫悟空ものはアクロバティックな演技に迫力があった。後者のフィジカルな演技は、日本の若手お笑い芸人たちに人気があるのだとか。「秋江」は、最近狂 言の野村万作との合作が話題となった出し物である。合作の方も帰国後テレビで一部を観たが、京劇のオリジナルの演技に較べると、今一つ演者の呼吸が合って いないように感じた。京劇観劇には北京外語の大学院生も同行していた。一人は Defoe についての修士論文を書いているとのことであった。英語も大変よくできるので感心した。
 京劇の後、古賀さんに誘われて、近くの屋台へビールを飲みに行った。一緒に行ったのはスイスとデンマークとオーストラリアの大学院生、それから北京で勉 強しているというアメリカ人の学生であった。屋台の食べ物には気をつけるようにとガイドブックにあったので、食べ物には手をつけず、もっぱらビールを飲み ながら、院生たちの話に耳を傾けていたが、古賀さんと院生たちは平気で食べていた。デンマークのコペンハーゲン大学で勉強している Line Henriksen は、Derek Walcott と epic についての博士論文を執筆中とのことで、後日研究発表を聞いたが、deixis に着目したパウンド論も秀逸であった。現在ケンブリッジ大学に留学中というオーストラリアの Mark Byron は、研究発表でパウンドの aesthetics を論じたが、ライプニッツの ars combinatoria から論を起こし、精緻な議論を展開した。もちろん屋台では堅い話は抜きで、もっぱらゴシップに花を咲かせたのであった。インターネットに載せるべく記念撮 影をして、タクシーで宿に戻った。(この時のスナップを含む北京での写真は http://lang.nagoya-u.ac.jp/~nagahata/ に掲載してある。)
 翌日の研究発表は午前中のみであったが、Lidan Lin, "Orientalism and Poetic Subversion in Pound and Yeats"、Diana Collecott, "'A New Greece in China': Hellenism and Orientalism in the Early Work of E.P. & H.D."、Zhaoming Qian, "From Painting to Poetry: Pound's Seven Lakes Canto"、Jeff Twitchell-Waas, "Nel paradiso orientale: China in Later Cantos" と興味深い発表が目白押しであった。このうち、Collecott は、一見パウンドと H.D. に共通するかに見える東洋趣味を、「H.D.の Hellenism」対「パウンドの anti-Hellenism」として区別し、H.D. の東洋趣味は、伝統的に東洋に付与されてきた virile image を修正するものだったのではないかと論じた。Jeff Twitchell-Waas は、パウンドの抽象をめぐる考察を散りばめつつ、彼の詩における東洋の意味を論じたが、後期の Cantos を論じた発表が少なかっただけに、その視野の広さは新鮮であった。Zhaoming Qian は今回の国際学会の convenor(主催者)であるが、"Canto 49" の下敷きになっている「瀟々八景」に関する発表を行ない、スライドを見せながら、イメージと詩テクストの双方を論じた。この発表で使うスライドを作成する ために、日本の美術館とコンタクトを取る必要があり、今年の2月頃に、筆者を含む日本在住の研究者に協力要請があった。結局スライドは、Dorsey Kleitz 氏の協力のもと、出光美術館のものが使われたと聞いた。
 この日の午後は、猛暑の中、頤和園を訪れた。入り口でバスを降りた瞬間から、水や清涼飲料水、あるいは土産物を売りつけようとする商魂逞しい人々が殺到 した。観光シーズンに当たるためか、中国人の団体観光客が園内を埋め尽くしており、ガイドしてくれた大学院生たちにはぐれないようついて行くのは至難の業 であった。案の定、はぐれる者も出て、案内役の大学職員(?)からお小言まで頂く始末であった。しかし、西大后が軍事費を流用して作ったと言われるこの夏 の宮殿は壮大で、昆明湖や仏閣塔の眺めも気持ちの良いものであった。
 翌日は研究発表の最終日である。自分の発表の会場となる第3室に居座って、Mark Byron, "The Ontology of the Aesthetic Object: Pound and the Mechanics of the Sign"、Line Henriksen, "Pound Pointing: Prosaic and Epic Deixis in The Cantos"、Leon Surette, "The Romance of the Ideogram in European Linguistics" を聴いた。Surette の発表は、ABC of Reading に出てくる Ideogrammic Method の再読を軸に、パウンドの見方が、Fenollosa よりはむしろ Swedenborg に近いと論じるもので、その趣旨は、同じ ABC の該当箇所を引いて、パウンドの抽象の扱いを論じた自分自身の関心と少なからず共通するもので、興味が持てた。
 昼食を挟んで、Dan Albright、Helen Dennis、Wendy Stallard Flory、Richard Taylor によるセミナー "Pound for the New Millennium" を聴いた(司会、Ira Nadel)。パネリストの発言に共通していたのは、21世紀のパウンド研究におけるテクノロジーの重要性と、文化圏を越えた研究者たちの collaboration の意義を強調する論調であったが、その中で一人 Flory は、パウンドの dark side of personality を無視することは出来ないことを力説して、異彩を放った。質疑応答には中国人研究者、韓国人研究者も発言して、パウンド研究の国際性が例証されたが、21 世紀の展望を試みたパネルとしてはやや突っ込み不足であるとの印象を禁じ得なかった。
 続いて総会が開かれ、次回 2001年の国際大会をパリで開催することが決まった。対立候補はパウンドの生地であるアイダホ州ヘイリーだったが、採決の末破れた。
 研究発表がすべて終了し、北京外語主催の conference dinner を満喫した後、残されたプログラムは excursion だけとなった。20日は長城、21日には故宮見物のツアーが組まれていた。長城(八達嶺)は話に聞いていたよりも傾斜が急で、極めてフィジカルな excursion となったが、欧米から訪れている年輩の学者たちは臆せず、その険しい石の勾配を登っていった。故宮見物もまた、真夏の太陽の下、3時間耐久レースのような ツアーとなったが、明朝清朝の絶大な権力を、身をもって体験できたようにも思う。途中でひと休みしながら、よもやま話をするのが、こうした学会ツアーの醍 醐味であるが、excursion の道中、バスの中での会話も有意義であった。長城へ出かける際には、前述の Jeff Twitchell-Waas と、Araki Yasusada という偽の被爆者詩人について意見交換をすることができたし、翌日、故宮へ向かうバスの中では、西安大学で教える Hong Sun という中国人の研究者と話が出来た。北京生まれだという彼は、北京の近代化のこと、少子化政策のこと、英語教育の現状など、様々なトピックについて語って くれた。また、バスの中での会話ではないが、総会の後に Ming-qian Ma のインタヴューを行なうことができたのも大きな収穫であった。
 今回の学会で初めてお会いした研究者の一人に、韓国から参加した Chi-Gyu Kim 氏がいる。氏は日本語に堪能で、食事時にはしばしばご自慢の俳句をご披露いただいた。その昔、イギリス留学の帰途、船上で、日本人留学生と一緒に俳句を 作ったが、自分の作が最も優れていて、日本人から俳句の作法を教えてくれるよう頼まれた、と笑顔の日本語でお話しになった。俳句に留まらず、毎月仲間と漢 詩の会を開いているとのことで、学会中も新作の推敲に余念のないご様子であった。
 参加者の多くは、22日から曲阜と泰山へのツアーに出かけたが、こちらには参加せず、名古屋へ戻ってきた。中国人留学生たちから、もったいないことをし たとさかんに言われたが、致し方ない。もし参加していたとしても、長城から戻って以来、原因不明の腹痛と下痢に悩まされていたので、途中でダウンしていた 可能性が高い。  高層建築と真っ直ぐに突き進むハイウェイの建造ラッシュによって、北京という特異な街も世界の他のメトロポリスと大差なくなりつつある。世界は画一化を 進めており、西洋と東洋の異質性も徐々に解消していくのだろう。パウンドは結局中国にも日本にも来ることがなく、テクストの中でのみ東洋に触れたが、トゥ ルバドールゆかりの地を徒歩で見てまわった彼が、新しい千年紀を目前に控えた年に、近代化を進める北京の街をその目で見たら、彼のあの中国への憧憬は変 わったであろうか。容易に現地を訪れることが出来るようになった今、西洋の研究者たちは、いわばパウンドの分身として中国の地を踏んだ。今世紀初頭の巨人 の想像力は、幾多の変容を加えられつつも、分身たちの中に生き続けているに違いない。そして、そこから生まれ出る新しい言語こそが、こうした学会の成果と 呼ばれることになるに違いない。
 黄砂にむせぶ朝の交通渋滞の中、北京国際空港を目指すタクシーの後部座席で、ふとそんなことを考えた。


(1999年10月 Ezra Pound Review, 第2号より)