『草の葉』以前のウォルト・ホイットマン:

1840年代後半の創作ノートを中心にして

溝口 健二

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 メキシコ戦争の勃発によって南北の対立が激化した1840年代の後半、ホイットマン (Walt Whitman, 1819-1892) は、Brooklyn Daily Eagle (以下 Eagle と略す) 並びに Brooklyn Freeman の編集に没頭し、民主党保守派の妥協政治を批判すると同時に、新世界アメリカが目指すべき方向を懸命に探し求めていた。一方このホイットマンの内部では重大な変化が進展していた。彼は既成の政治ジャーナリズムの枠組みから抜け出して、真にアメリカを代表する詩人として自己再生を遂げるべく、着々と『草の葉』(Leaves of Grass) の構想を練り始めていたのである。

 詩人ホイットマンが誕生した経緯についてはこれまで多種多様の解釈が試みられている (Stovall 10-14)。一部の批評家は、「宇宙的意識」(qtd. in Stovall 10)、「神秘的体験」(Binns 69-70)、「ルイジアナにおけるロマンス」 (Holloway, Whitman 65-66) など、1850年前後にホイットマンが経験したと推測される出来事を論拠にして、詩人ホイットマンが誕生するに至った経緯を説明している。しかしこれらの説明にもかかわらず、ホイットマンは何らかの偶発的な出来事を機に突然詩人に転身したわけではない。このことは、彼が早くも1840年代後半にかなりの量の創作ノートを書き残している事実の中にはっきりと示されている。このノートは、明らかに『草の葉』の出版を意図して書かれた創作ノートであり、そこには「自己」と詩に関する当時のホイットマンの基本的な考え方が余すところなく書き込まれている。しかもその多くは、加筆・修正の後、主に「序文」や“Song of Myself”の中に取り込まれ、『草の葉』初版の中でもひときわ重要な部分を占めているのである。この限りにおいて、ノートの意義はきわめて大きいと言わなければならない。それは、ジャーナリズムの世界に身を置きながらも、すでにそこから精神的には離脱しつつあるホイットマンの証として、あるいは一介の政治ジャーナリストから『草の葉』の詩人へと変貌しつつあるホイットマンが1840年代後半に残した自己再生の足跡として限りなく意味深いのである。

 さて、本論の目的は、1840年代後半に書かれたノートの中から“albot Wilson”1 と題する最も初期の創作ノートを取り上げ、そこに記された「自己」と詩に関する書き込みを手がかりにして、当時ホイットマンの中で『草の葉』の構想がどのように進展していたのかについて論じることである。初めに“albot Wilson”のノートとしての特性を簡単に紹介し、次に『草の葉』との間に認めることができる緊密な関連性をいくつか指摘しながら、ホイットマンが取り組んでいた主要な課題を明らかにし、最後にホイットマンが目指していた詩人像を中心にして、それがどのような時代背景のもとで成り立っているのかについて考えてみることにしたい。言うまでもなく、この試みは、何かと不明な点が多い『草の葉』の成立過程を明らかにするためにも決して避けて通ることを許されない重要な作業であると確信する。

 

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 “albot Wilson”の特性について論じるとき、何よりもまず注目すべきは次の二つの書き込みである。一つは“1847 April 19th Mason commenced work on the basement rooms paid mason in full”(Notebooks 58) であり、他の一つは“Amount rec'd from Mr. V. A. 1847”(Notebooks 71) である。何ら語るべき内容を持たないかのように見えるこれら二つの書き込みが特別の意味を開示するのは、両者に共通する“1847”という数字に着目するときである。それは、“albot Wilson”が書かれた年を示唆する数字として、あるいは『草の葉』が着想された年を推測する際の有力な手がかりとしてきわめて重要な意味を持っている。事実、Grier (1456) を初め、Holloway (Uncollected Poetry 1: lxxxii)、Allen (134)、Erkkila (48)、Reynolds (117) など、多くの批評家が以上の数字に着眼して、ホイットマンが『草の葉』に着手した年を1847年としている。

 以上の批評家の推論を裏付けるように、ホイットマン自身1872年版『草の葉』に付けた「序文」の中で次のように語っている。「私は自分の詩の計画を念入りに仕上げて、何年も前から始めた。そして引き続きその計画を何度も吟味し、(28歳から35歳まで) 長い年月をかけてそれを心の中に移し変えた。大いに実験をして、大いに書いて、大いに破棄した・・・」(Prose Works 461)。この説明によれば、ホイットマンが『草の葉』に向けてその構想を練り始めたのは、“albot Wilson”の記載通り、1847年、彼が28歳のときである。「序文」とわずか12篇の作品からなる100ページ足らずの小詩集のために9年もの歳月を費やしたというのはいささか大げさのようにも見えるが、それでも、『草の葉』に織り込まれた壮大なヴィジョンはもとより、独自の主題や新奇な手法に目を向けるとき、「大いに実験をして、大いに書いて、大いに破棄した」と語るホイットマンの言葉には十分な説得力が備わっている。エマソンは、ホイットマンに宛てた1855年7月21日の手紙の中で、「私は大いなる生涯の門出に立つ貴兄に挨拶を送ります。このような出発をされるには、どこかで長い準備期間があったに相違ありません」(Leaves 730) と書いて、新しい詩人の誕生を祝福したが、このエマソンの言葉に要約されるように、ホイットマンは、長年にわたる「実験」と「準備期間」の末、『草の葉』を世に送り出したと考えてまず間違いない。

 ホイットマンは1840年頃から道徳的、感傷的、模倣的色彩の濃い詩や短編をさまざまな雑誌に発表したが、“albot Wilson”に関する限り、そこにかつてのホイットマンの痕跡を認めることはできない。1840年代前半のホイットマンが、詩であれ短編であれ、もっぱら人間の苦悩や悲哀に焦点を合わせて、人生の教訓を語る傾向にあったのに対して、“albot Wilson”のホイットマンは、自己、肉体と霊魂、詩人の使命と言語、新世界アメリカの展望など、主に『草の葉』に直結する主題に関心を寄せて、精力的に書き込みを行っている。その書き込みは、完成度の高い散文や詩として表現されている場合もあれば、不完全で断片的な文章として書かれている場合もあるが、いずれの場合にせよ、そこには従来の文学の伝統から脱却し、アメリカ固有の文学を樹立せんとするホイットマンの真摯な情熱が溢れんばかりにみなぎっている。例えば、以下の書き込みを見てみよう。彼は、まだ見ぬ読者や聴衆を想定して、さながらアメリカを代表する詩人か演説家であるかのような口調で語りかけている。

I will not be a great philosopher, and found any school, and build it with iron pillars, and gather the young men around me. and make them my disciples that new superior churches and politics shall come. -- But I will open the shutters and the sash, and hook my left arm around your waist till I point you to the road along which are the cities of all living philosophy and pleasure. -- Not I -- not God -- can travel this road for you. (Notebooks 66)

 既成の価値体系からの自発的な旅立ちを要請するこの力強い言葉は、“Song of Myself”セクション46における“Not I, not any one else can travel that road for you, / You must travel it for yourself.”(Leaves 83)と基本的に同じものである。このホイットマンには、自らの使命をはっきりと自覚しつつ、一般大衆に照準を合わせて、自己信頼と自尊心の重要性を説く『草の葉』の姿勢がすでに息づき始めている。1847年と言えば、ホイットマンは民主党機関誌 Eagle に在職し、編集活動に専念していたはずである。それにもかかわらず、なぜ彼はとりわけこの時期に『草の葉』の萌芽とでも言うべき以上の書き込みを記して、ある種の方向転換を図ろうとしているのであろうか。

 結論から先に言えば、それは民主党保守派との対立が主な原因であった。ホイットマンが長年にわたって信奉してきた民主党は、1840年代後半、激しく変動する時代の中でその性格を大きく変えようとしていた。メキシコ戦争によって獲得される新領土に奴隷制の拡張を認めるかどうかの議論をめぐって、北部と南部は勿論のこと、民主党自体も保守派と革新派に分裂し、アメリカ民主主義の根幹をなす自主独立と自由の精神は重大な岐路に立たされていたのである。熱烈な自由の信奉者としてホイットマンが選択した道は、南部の奴隷所有者に与することなく、最後の最後まで自由を死守することであった。Eagle の社主アイザック・ヴァン・アンデンは保守派の立場に立っていたが、ホイットマンは革新派の立場を貫き通した。民主党は「奴隷制のためではなく、自由のために戦ったアメリカ革命の祖先に対して忠実」(qtd. in Erkkila 51) でなければならないというのが彼の一貫した信念であった。保守派との対立は深まるばかりであった。両者の対立は、「愚鈍で怠惰、不器用かつ不作法で、断固たる信念を持ち合わせていない・・・」(qtd. in Reynolds 120) 、という Eagle の痛烈なホイットマン批判の中にはっきりと窺い知ることができる。

 

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 さて、冒頭でも触れたように、“albot Wilson”における書き込みの多くは、加筆・修正の後、主に「序文」や“Song of Myself”の中に取り込まれ、『草の葉』の主要な部分を作り上げている。以下、その具体例をいくつか挙げてみよう。例えば、“America receives with calmness the spirit of the past”(Notebooks 57) と書かれる一行は、「序文」の冒頭を飾る次の一文に反映されている。

America does not repel the past, or what the past has produced under its forms, or amid other politics, or the idea of castes, or the old religions -- accepts the lesson with calmness. (Prose Works 434)

 また“Different objects which decay, and by the chemistry of nature, their bodies are into spears of grass”(Notebooks 57) とか“Observing the summer grass” (Notebooks 78) という断片的な書き込みがすでに見られるのも意味深い。これら「草」に関する書き込みは、“Song of Myself”セクション1に取り込まれ、“I lean and loafe at my ease observing a spear of summer grass.”(Leaves 28) という一行に生まれ変わっている。

 上に引用した“spears of grass”は、“decay”とか“by the chemistry of nature”と書かれる文脈から判断すれば、再生の「草」を象徴的に表していると考えられるが、この再生の「草」と関連して今思い出されるのは以下の書き込みである。

  Have you supposed it beautiful to be born?
  I tell you I know it is just as beautiful to die; (Notebooks 72)

 「誕生」と同様に「死」もまた「美しい」とするこの一節が特に注目に値するのは、“Song of Myself”セクション6に同一内容の表現を認めることができるからである。セクション6のホイットマンは、「草」の意味を問う無垢な子供の質問を契機に「生」と「死」の関係を見つめ直し、最終的には“And to die is different from what any one supposed, and luckier.”(Leaves 35) という結論を導き出している。興味深いことに、この結論は同詩セクション7の冒頭部に受け継がれ、“beautiful”と“lucky”の違いこそあれ、先に引用した“albot Wilson”の書き込みとほぼ同一の表現が以下のように再現されている。

  Has anyone supposed it lucky to be born?
   I hasten to inform him or her it is just as lucky to die, and I know it. (Leaves 35)

 周知の通り、この引用は“The smallest sprout shows there is really no death,”(Leaves 34) と並んで『草の葉』の死生観の最も本質的な部分である。その萌芽が早くも1847年の時点で確認できるのは驚くべきことであるが、再生の主題は何の脈絡もなしに突然“albot Wilson”に降って湧いたのではない。それは、「死」の不安にとりつかれ、おそらくは常に低迷を余儀なくされていた1840年代前半のホイットマンの中から必然的に生じる主題として意味深いのである。

 ホイットマンは1840年から1846年にかけて22の短編と12の詩を発表したが、彼は、まるで Zweig の言う「強迫観念」(37) によるかのように、ほとんどの作品において「死」をその主題もしくは題材として選択している。それがAllen (38) やKaplan (93) の指摘する当時の文壇からの影響によるものなのか、それともCavitch (18) や Black (29) の説く青少年期の家庭環境によるものなのか、それは判然としない。しかし、どのような要因が絡み合っているにせよ、若いホイットマンが「死」を相手に悪戦苦闘の人生を強いられていたことだけは紛れもない事実である。例えば、1841年、Long Island Democrat に掲載された“Our Future Lot”と題する詩には、「人間よ!おまえの高揚する魂は生きていけるのか、不安と涙と争いからなるこの地上の檻の真っ直中に、人生がことごとく閉じこめられているという考えと共に」(Early Poems 28)と書かれている。また1842年、The Aurora に発表された“Time to Come”においても、「魂の永遠の住処はどこにあるのか」(Early Poems 27)、「生の油が尽きてしまったとき、それでも灯芯は燃え続けるのであろうか」(Early Poems 27) というように、同じ主旨の言葉が繰り返されている。

 「地上の檻」に捕らえられた「高揚する魂」の行方をめぐって、“albot Wilson”のホイットマンがどこに向かって思考を掘り下げていったのか、その思考の跡を最もよく示しているのは、彼が矛盾・対立する二つの逆方向を標的に据えて、両者が巡り会うことのできる場を探り当てようとしていることである。

The effusion or corporation of the soul is always under the beautiful laws of physiology -- I guess the soul itself can never be any ? thing but great and pure and immortal; but it makes itself visible only through matter -- a perfect head, and bowels and bones to match is the easy gate though which it comes from its embowered garden,... (Notebooks 58)

 ここにおけるホイットマンの関心は、「物質」と「霊魂」を思考の中心に据えて、両者が一つに折り合うことのできるヴィジョンを探し出すことである。「霊魂」の属性を「偉大で汚れなく不滅」であるとしながらも、「それは物質を通してのみ姿を現す」と書き、両者の間に相互補完の関係を透視するとき、ホイットマンは1840年代前半の延長線上で思考を展開していると考えて差し支えない。彼の言う「物質」と「霊魂」とは、「地上の檻」と「高揚する魂」の変奏に他ならないのである。無論、以上の考え方が、先に引用した再生の主題に、そしてまた“Song of Myself”セクション3における“Lack one lacks both, and the unseen is proved by the seen, / Till that becomes unseen and receives proof in its turn.”(Leaves 31)という表現に昇華していくにはさらなる思考の積み重ねと詩的想像力が必要となろう。それは十分認めておかなければならないとしても、“albot Wilson”のホイットマンの中では1840年代前半の低迷期と向かい合いながら、そこからの脱却を図ろうとする不断の努力が展開されているのである。

 以上のことと関連してもう一つ見落としてならない大切な点は、「自己」を二極的に捉えるホイットマンの思考形態が早くも“albot Wilson”に登場していることである。

I am always conscious of myself as two --as my soul and I; and I reckon it is the same with all men and women. (Notebooks 63)

 “Song of Myself”セクション1における“I loafe and invite my soul,”(Leaves 28)、 あるいは同詩セクション5における“I believe in you my soul, the other I am must not abase itself to you,”(Leaves 32) に代表されるように、『草の葉』の詩的世界が「ぼく」と「ぼくの魂」を軸として展開されていることは周知の事実である。こうした二極的な自己認識を記したおそらくは最初の記録として上の書き込みは限りなく興味深い。

 “Song of Myself”の場合、ホイットマンは、“loafe”を導入することによって、もしくは性的意味合いの強い交流を描くことによって、「ぼく」と「ぼくの魂」との間に広がる距離を短縮あるいは解消することに成功している。これに対して、“albot Wilson”には「ぼく」と「ぼくの魂」との関係を示唆する書き込みは含まれていない。そのために、両者がホイットマンの中でどのように位置づけられているのか、それを正しく言い当てるのは困難である。先に取り上げた「物質」と「霊魂」に関する書き込みを念頭に置けば、ホイットマンが「ぼく」と「ぼくの魂」の問題を「物質」と「霊魂」の問題に置き換えて、「自己」についても同様の思索を深めていたと言えるのかもしれない。しかし今は、こうした推論を立てることよりも、『草の葉』の主役である「自己」の原型が、そしてまた矛盾・対立する二つ逆方向を軸として展開される詩的世界の原型が早くも1847年に認められることの方を強調しておくべきであろう。なぜなら、これは『草の葉』の根幹に関わる最も重要な特性であり、この特性ゆえにホイットマンは、常に緊張を強いられながら、調和的ヴィジョン創出のために最大限のエネルギーを費やすことになるからである。

 このように見てくると、“albot Wilson”には『草の葉』の骨格とでも呼べる考え方が濃厚に漂っている。このことは、1840年代後半のホイットマンの内部で詩人への方向転換が確実に進展していたことを何よりも雄弁に物語っている。事実、“albot Wilson”の顕著な特徴の一つは、詩人に関する豊富な書き込みである。最後に、詩人に関する書き込みをいくつか取り上げ、ホイットマンの提示する詩人像がどのような時代背景のもとで成立しているのかについて考えてみることにしたい。

 

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 “albot Wilson”のホイットマンは、特に詩人について多くの書き込みを残している。それらは断片的なものが多く、必ずしも系統立っているわけではないが、それでも全体として眺めると、そこには伝統的な詩の主題を排して、アメリカ固有の詩人として自己再生を遂げようとするホイットマンの姿勢が色濃く現れている。

  I am the poet of the body
   And I am the poet of the soul (Notebooks 67)

  I am the poet of women as well as men. (Notebooks 73)

 前者は“I am the poet of the Body and I am the poet of the Soul,”(Leaves 48) に、そして後者は“I am the poet of the woman the same as the man,”(Leaves 48) にそれぞれ書き換えられ、“Song of Myself”セクション21に再登場している。これ以外にも、“I am the poet of Strength and Hope” (Notebooks 67)、“I am the poet of reality,”(Notebooks 69)、“I am the poet of little things and of babes / Of each gnat in the air, and of beetles rolling balls of dung,”(Notebooks 70)、“I am the poet of Equality ”(Notebooks 71) という具合に、詩人に関する書き込みは枚挙にいとまがない。1840年代前半のホイットマンが伝統詩の技法に依存して、主に教訓詩や感傷詩を書いていたことを思い起こすとき、以上の詩人像は驚くべき方向転換を示していると言ってよい。

 もっとも、1840年代半ばの国内事情からすれば、こうした詩人像は驚くに値しないのかもしれない。アメリカの国土拡張政策が頂点に達した1840年代半ばは、国民文学に関する議論が盛んに行われた時期である。Allen (128) によれば、この議論を積極的に推進したのは、Democratic Review に集結した“Young America”と呼ばれる急進的な作家や批評家のグループである。ホイットマンは“Young America”の活動家と親密な交際はなかったようであるが (Allen 129)、それでも彼らの文学理論を吸収して、Eagle 時代にはアメリカ独自の文学の必要性を訴え続けた。

 1846年5月12日の「アメリカの文学」という社説では、「もし偉大で高尚かつ優れた文学になるのであれば、『独創的なアメリカ文学』の樹立は望ましい」(qtd. in Brasher 189) という言葉で、固有の文学の必要性を説いた。また1846年7月11日に掲載された「『自国』の文学」と題する社説では、シェイクスピア、ゲーテ、バイロン、ルソーなど、旧世界の作家の業績を高く評価しながらも、「本を読む人々は(この国に本を読まない人がいるだろうか)もはやへりくだって、外国の劣った作家を愛顧してはならない。わが国には非常に多くのすばらしい作家がいるのだから」(qtd. in Holloway, Uncollected Poetry 2: 123) と書いた。さらに1847年2月10日の「自立したアメリカの文学」という記事では、過去の作品がアメリカ人にとって貴重な財産であることを認めたうえで、「多種多様な天才の蓄積につけ加えるべきものがこの国にはないのか」 (qtd. in Brasher 190)と訴えた。

 “albot Wilson”のホイットマンが提示する詩人像を理解するには、まずは以上の点を念頭に置くべきであろう。それは、旧世界からの離脱と自立した国家の形成を要求する精神風土の中から生まれ出る当然の産物であり、そこにはアメリカ独自の文学を求めて止まない時代精神が色濃く影を落としているのである。例えば、以下の書き込みを見てみよう。ここにはヨーロッパやアジアの政治体制よりも「はるかに永続的で普遍的な基盤」に立脚して、「真なる高尚かつ拡張的なアメリカ的性格」を育成しようとするヴィジョンが力強い言葉で書き込まれている。このヴィジョンの背景に以上の時代精神を読み取ることは十分に可能であろう。

True noble expanding American character is raised on a far more lasting and universal basis than that of any of the characters of the“gentlemen”of aristocratic life, or of novels, or under[?] the European or Asian[?] forms of society or government. -- It is to be illimitably proud, independent[?], self-possessed generous and gentle. -- It is to accept nothing except what is equally free and eligible to any body else. (Notebooks 56)

 これ以外にも、“albot Wilson”には『草の葉』の詩人が歌うべきアメリカ独自の主題がいろいろなかたちで登場している。例えば、“If the presence of God were made visible immediately before me, I could not abase myself”(Notebooks 56) と書かれる一行は、“Song of Myself”セクション48における次の一行と結びつく自己宣揚の究極的表現である。“And nothing, not God, is greater to one than oneユs self is,”(Leaves 86) 。また教授や資本家といった一部の特権階級の人々よりもむしろ、馬車の御者や船頭に代表される粗野なアメリカ人に共感を寄せて、彼らを“sublime”(Notebooks 67) と呼んでいる点にも注目すべきであろう。ホイットマンは、粗野なアメリカ人の中にこそ、真なるアメリカ人の原型を、そしてまた旧世界の伝統から脱却した自由奔放なアメリカ詩人の原型を見定めているのである。

 しかし、アメリカ精神の高揚とは言っても、ホイットマンはいわゆる拡張主義政策への追従として楽観的に時代精神を代弁しているのではない。すでに述べたように、1847年はそれまでくすぶり続けていたアメリカ社会の矛盾が一気に噴出した時期である。彼は、彼自身が思い描く理想とは逆の方向に向かって歩み始めたアメリカに対して深い危機感を抱き、怒りと幻滅のうちに“albot Wilson”を構想しているのである。

 このことは、既成のジャーナリズム活動から完全に身を引いたホイットマンが、その後民主党に代わる「自由」の代弁者として数々の行動を起こしていることからも容易に推察することができる。1850年の3月から6月にかけてホイットマンはフリーランサーという自由な立場で四つの政治詩を発表したが、これらの作品はいずれも民主党に対する抗議の詩であった。彼は、いわゆる「1850年の妥協」として知られる連邦分裂の打開策を正面に据えて、民主党の妥協政治を徹底的に批判した。しかしその一方で、「自由よ、他の者は自由に対し絶望するがよい、/しかしぼくは決して絶望しない」(Early Poems 40) と書いていることも忘れてはならない。ホイットマンの内部では「自由」の復活に限りない信頼を寄せて、「自由」の国アメリカを再建しようとする力強い決意が脈動しているのである。

 このホイットマンの決意が重要な意味を持つのは、それが一過性のものとして終わってしまうのではなく、1850年代前半におけるホイットマンの方向性を決定づけているからである。1852年の大統領選挙の折、彼の決意は一つの政治行動となって具体化した。彼はニューハンプシャー選出の上院議員で熱心な奴隷制反対論者でもあるジョン・パーカー・ヘイルに手紙を書いて、自由土地党の大統領候補指名を受け入れるよう要請したのである。彼は次のように書いた。「私には国民の気持ちが分かっています。私はこの力強い町の、つまりは数万人の若者や機械工や作家等の本当の気持ちが十分に分かっています (なぜなら私はほとんどニューヨークにいますから)。これらの人々の中には・・・多かれ少なかれ、すべての時代に舞い上がり、暴君や保守派や彼らと同類のすべての連中の打算を覆す機会をひたすら待ち受ける神聖な炎が赤々と燃えています」(Correspondence 40)。政治に幻滅したホイットマンを支えていたのは、政治の世界とは無縁の一般大衆であった。彼は一般大衆に全面的な信頼を寄せて、彼らの中で燃え続ける「神聖な炎」の中に「自由」復活の夢を見つめているのである。

 以上のホイットマンの政治行動は、1854年5月24日、逃亡奴隷の廉でボストンで逮捕され、南部への引き渡しが決定したアンソニー・バーンズの事件を扱った“A Boston Ballad (1854)”へ、さらには1856年の大統領選挙に際して書かれた「第18期大統領職」と題する政治パンフレットへと継承されていくことになるが、こうした一連の行動を考慮に入れて、改めて“albot Wilson”の意義について考え直してみよう。そうすれば、それが時代に対する深刻な危機意識を契機として書かれたアメリカ再建のためのノートであることが明らかになろう。“albot Wilson”が真に意義深いのはこのためである。それは、建国以来の理想が危機に瀕した1840年代後半のアメリカに対して怒りと不信を深めながらも、強固な意志と信念によってそれを乗り越え、アメリカ再生の道を模索するホイットマンの記録としてこの上なく意義深いのである。

 

 1 このノートの表題は、Notebooks の編者 Grier が編集の都合上ノートの書き出しから取って付けたものである。Grier の推論によれば、“albot Wilson”とは、1854年から1855年にかけてブルックリンの Wilson 通りに住んでいたことが確認されている画家 Talbot を指している(55n)。

 

引証資料

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