■ソポクレス『オイディプス王』Oedipus the Kingについて

■テキスト

ここでは『ギリシア悲劇全集第二巻』高津春繁訳(人文書院、昭和35)を使用。ほかに『ギリシア悲劇〈2〉ソポクレス』松平千秋訳 (ちくま文庫、1986)、『ギリシア悲劇全集〈3〉』岡道男訳(岩波書店、1990)などがある。

 

 

■質問

1 『オイディプス王』はどのような物語かと人に質問されたら、父を殺害し、母と結婚するという神託を受けた主人公が、その実現から逃れるために、自国から旅立ち、他国の王となるも、運命の皮肉によって、その神託が実現してしまう物語と答えるかも知れない。ところが、劇そのものには、父親殺害の場面も、母親とのベッド・シーンもない。劇の多くの部分を占めるのは、テーベの王オイディプスが過去に起きた事件の真相を探索するプロセスである。この劇作品にはその後景にストーリーがあり、前景にはドラマがある。題材となる物語と、舞台上で展開するドラマとはどのように関係しているのか。

 

 

2 マーク・シェル『地球の子どもたち』(みすず書房)が示すように、血縁に大きな価値を与える思想がある一方で、血縁ではないが「血縁」に等しい関係(例 「同胞」「乳兄弟」「養父母」など)を幻視する思想がある。『オイディプス王』は血縁の秩序を極めて大きく捉える思想を前提としているように思われる。しかし、その一方で、疑似家族的な要素も含まれている。そもそも、オイディプスがコリントスから逃げたのは、殺人・結婚の穢れを機械的に捉えたからではなく、自分をこれまで子どもとして養育してくれた親に対して罪を犯したくないという心情からであったと思う。その証拠に、彼はポリュボスが死んだと聞き、「おれに会いたさに、おなくなりになった」という可能性に言及する(960行目)。つまり、自分への愛情からポリュボスが死んだ、彼を殺してしまったのかもしれないというわけである。反対に、血縁に関しては、物語レベルにおいて、児童遺棄・虐待・殺人未遂が言及される。飛躍した問いだが、児童虐待は悲劇には必要な要素なのだろうか。

 

 

3 子どものオイディプスを捨てた様子が語られるとき、その内容について一致しない点がある。劇の中ほど(720)では、「子供のほうは三日とたたぬうちに、ライオス殿がその両くるぶしをいっしょに留金で指し貫き、他の者の手に託して道なき山中に捨てたのです」とイオカステ自身に言わせている。ここには彼女自身の参加は触れられず、子捨てについて、なんの心理的動揺も感じられない。また、劇の終盤では、オイディプス「なに! あれ[イオカステ]がそちに与えたのか。」、召使い「いかにも。」というやりとりがある。この後の情報からすると、イオカステは児童遺棄の責任をすべて夫ライオスに負わせているように思われる。また、オイディプスをわが子と悟ってからも、イオカステの心配と不安は「夫」であるオイディプスに対するもののようで、「子ども」であるオイディプスに対するもののようには感じられない。また、彼女とオイディプスとの間に生まれた子どもたちに対する感情を、オイディプスは表明するが、イオカステは表明しない。イオカステにおけるこの子どもに対する意識の薄さは、劇の構成の必要から来るものなのか、あるいは、彼女の性格造形から来るものなのか。

 

 

4 宮殿の内部で生まれた子どもを山中に捨てるためには、相当、遠くまで行かねばならないだろう。また、別々の国の羊飼いが知り合うためには、一つの国の外に、また別の国がなければならない。若者のオイディプスが「故国」から遁れるためには、広い世界を放浪せねばならなかったろう(「その後ははるかに星によってコリントスの地をはかるのみ」790)。このように、作品は地理的な広がりの印象を観客に与える。その一方で、すべての主要な登場人物は不思議な糸で結ばれている。オイディプスは「両親には近づかぬぞ」(1010)という。即ち、最も離れようとすると最も近くなるということだ。この観点からすると、劇の前半で、オイディプスがクレオンとテイレシアスが共謀していると疑うことも、人間のレベルでは狭い世界をつくろうとするこの劇の傾向のためかと感じられてくる。この狭くなる傾向は、劇の結末で最初にイオカステが、次にオイディプスが宮殿内に走り込むアクション、イオカステの衣服の留金で自分の目を突き刺すアクションによって決定的となる。このような閉塞感は、そもそも何から生じるのか。

 

 

5 最近始まった韓国ドラマ『イ・サン』を見ていると、宮中に職を得たい少年がそのための資格として去勢が求められるので、何度もその試みをする場面があった(結局、出来ないのだが)。ライオスは子どもを「両くるぶしをいっしょに留金で指し貫」いて捨てようとしたのだが、なぜ、去勢することを考えなかったのか、また、すぐに殺すことを考えなかったのか。「両くるぶしをいっしょに留金で指し貫」くとは、何を意味するのか。ライオスの子どもの捨て方に、殺人と性交の両方を封印する目的があるとするなら、この方法は一種の去勢でもあるのか。

 

 

6 ポリュボスとメロペには子どもがいなかった。劇冒頭のテーベを見舞った禍の一つは女たちの死産である。劇の結末で、オイディプスの二人の娘たちは「うまずめ」になるだろうと父親が言う。この背景のなかでは、オイディプスとイオカステは多産である(Cf. ライオスとイオカステは一人しか子どもをつくっていない)。この多産、過剰な結婚が禍の極め付けだと劇は印象付ける。この劇は、性に対する不安に支配されているのか。オイディプスは、かつて女の怪物に勝利したのだが。

 

 

 


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