シェイクスピア『ヴェニスの商人』The Merchant of Veniceについて

 

■テキスト

 

 

■質問文(160502

(1)三幕二場の終わり部分で、バッサーニオの親友の窮地を知ったボーシャは、「まず一緒に教会へ行って、私を妻と呼んでください、/それからヴェニスのお友達のところにいらして。」"First go with me to church and call me wife,/ And then away to Venice to your friend!"(3.2.301-02)と言う。この場では、バッサーニオは一刻を争う気分である。人々の口吻にそれがうかがわれる。そのような危機的な時にかかわらず、ボーシャはまず教会で結婚の儀式を挙げるという。上記の言葉では、"us"ではなく"me"が使用され、文字の上からはネリッサは含まれていない。しかし、この言葉から5行あとの、「それまで侍女のネリッサと私は/処女か寡婦のような日々を送っています」"My maid Nerrica and myself meantime/ Will live as maids and widows"(309-10)とあり、ボーシャにとっては自分が教会で「正式に」結婚することで、侍女のネリッサもまた「正式に」結婚するものとみなされている(と、考えられる)。さて、この劇には、駆け落ちするカップルが登場する。ロレンゾーとジェシカである。ボーシャの考え方からすると、彼らは「結婚」したとみなしてよいのだろうか。この劇には、(結婚式場となる可能性をもつ)宗教的施設として、(キリスト教の)教会の他に、(ユダヤ教の)会堂"synagogue"(3.1.120, 121)が言及される。駆け落ちカップルはそこで結婚式をあげるはずはない。そして彼らは教会で結婚式を挙げたとも、挙げる予定であるとも述べられていない。

 

(2)箱選びについて考える。舞台に登場する最初の求婚者はモロッコ大公である。ボーシャは彼に、「もし間違った選択をなされば/今後どんな女性にも決して/求婚はなさらないとお誓いになるか」(二幕一場)と言う。第二の求婚者アラゴン大公は箱選びに参加する者の3つのルールを述べる(二幕九場)。1)自分がどの箱を選んだか、他人に漏らさない、2)選択を誤ったら、結婚目的で女性に求婚しない(never in my life/ To woo a maid in way of marriage")、選択に失敗したら即座に立ち去ること。(そして第三の求婚者バッサーニオの場合には、もう3つのルールには触れられない。)さて、ここから次のように考える。アラゴンが述べた3つのルールのうち、1)と3)はこの試験が継続するために必要である。しかし2)は必要ではない。しかし劇は3つのルールのうち、それを最も強調しているように感じられる(モロッコはそれだけに言及)。劇は、おびただしい求婚者がボーシャを訪れるという。「東西南北、四つの風が岸辺という岸辺から/名高い求婚者を吹き送ってくる」(一幕一場)。試験に不合格となる求婚者は次々と生産されるので、ベルモントにおけるこの試験は、男性を去勢する装置のようである(第一には嫡子をつくる可能性を失う)。試験の落第者が箱の中に、「忌まわしいしゃれこうべ」(二幕七場)や「阿呆の絵」(二幕九場)を発見するが、もっともである。これはボーシャの側からみると、彼女に「性的に」(=結婚の意図をもって)接近する者は、すべて性的に無化されるということ。ボーシャの処女性はその期間が延長される。三幕二場、バッサーニオが試験に合格し、グラシアーノーの次の冗談が聞かれる。「(ネリッサに)お二人と賭けをしようか、先に男の子ができたほうが一千ダカット取る」。つまり、ボーシャの結婚が成立し、子作りが始まるというのである。しかし、その後に届いたアントーニオの危機の知らせによって、ボーシャの処女性はさらに延長する。そして劇の終盤、指輪をめぐるやり取り。「天に誓って、あなたのベッドへは近寄りもしません、/あの指輪を見るまでは!」(五幕一場)。この処女性の期間延長は劇のどのような要素と関係づけられているのか。

 

(3)この劇における富裕な人々は3人である(テューバルのような脇役を除くと)。富裕な人々とそうでない人々の区別を劇ははっきりさせている。バッサーニオがアントーニオを保証人として借金しようとしたとき、彼は「迷いなく」シャイロックのもとへ行ったようである。アントーニオが借金を期日までに返済できないことがはっきりしたとき、彼を金銭的に援助できる友人はだれもいない。アントーニオとシャイロックの富は、商業的手段によって得られた。他方、ボーシャは父から大きな遺産を相続したが、その富の出所についてはわからない。夫には「そんなわずかな借金など/二十倍にして返せるほどの金貨をお渡しします」という。シャイロックは三千ダカットの持ち合わせはなかったことを思い出そう。さらに劇の最後では、ボーシャはアントーニオの三艘の船が「積荷を満載して」戻ったことを告げ知らせ、アントーニオからは「あなたは私に命と命の糧を授けてくださった」と言われる。同様にロレンゾーからは「マナを降らせてくださる、/飢えかつえた者の上に」と言われる。ボーシャの富は無尽蔵である暗示がここにはある。このような富の種類と富の獲得手段の違いは人々のドラマにどのように影響しているだろうか。

 

(4)シェイクスピア当時のジェンダー・イデオロギーによると、男性の活動場所は家の外であるが、女性のそれは家の中とされた。その観念の影響があるのかないのか、女性の登場のタイミングは「遅い」感じがある(例えば、拙著『シェイクスピアと身体』で論じた『タイタス・アンドロニカス』のラヴィニアを想起せよ)。三幕二場で、ボーシャは夫から親友アントーニオの危機を聞かされ、ヴェニスに向けて旅立つ。観客はそれまでの劇の進展を経験しているが、ボーシャは経験していない。これは彼女の認識と行動にどのように影響しているか。

 

 

 


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