■シェイクスピア『タイタス・アンドロニカス』Titus Andronicusについて

 

■テキスト

ここでは主に、『アントニーとクレオパトラ』(シェイクスピア全集21)松岡和子訳(ちくま文庫、2011)を使用。

 

■質問2014年度後期授業にて使用)

1 フィスターによると、「タイトルが含む事前情報はテーマ的性格をもつ。この種の事前情報はしばしば神話的・歴史的事件と間テキスト的(intertexual)関連をもつ。」(3.2.2.)ところで、シェイクスピアの『アントニーとクレオパトラ』と間テキスト的関連をもつものとして真っ先に挙げられるものは、古代ギリシアの歴史家プルタークの『英雄伝』である。アントニー、クレオパトラ、オクテーヴィアス・シーザーの物語は『英雄伝』のなかにある。シェイクスピアの同時代人であるモンテーニュは愛読書の一つにこの『英雄伝』をあげている。当時、これらの英雄の物語はよく知られていた。そこからこのような問いを問うことができる。このように人々によく知られた物語をシェイクスピアはどのように舞台化しているだろうか。

 

2 一幕一場の最初と最後には、ローマ人たちのアントニーを見る視点と評言がある。観客もまた、その視点の枠組みにある程度影響を受けるだろう。すなわち観客は、アントニーのエジプトでの「堕落ぶり」を見るように促される。この箇所で観客が受ける影響はどの程度のものと考えるべきなのか。ローマ人の視点は、「意図された観客視点」となるのだろうか。フィスターの要約で、「媒介的叙事的機能をもつ登場人物の視点はその他の登場人物の視点よりも上位に位置する。しかし、だからと言って、この上位の視点が作者に意図された観客視点になるわけではない」(3.5.2.)とある。ローマ人の視点を相対化する視点はあるだろうか。

 

3 五幕二場で道化が登場する。これは『リア王』で登場する王に仕える宮廷道化ではなく、田舎者(a rural fellow)であり、プルタークの『英雄伝』でもそのように述べられている。『英雄伝』の彼はセリフがなく(無花果の葉に隠して蛇を運び込んだことのみ触れられる)、劇での彼のセリフはまったく劇作家の創作である。女王は彼と真剣にやり取りしているようには見えず、彼の言葉は観客に向けられている印象を私はもつ。フィスターによると、「媒介的コミュニケーション・システムは、S2R2を活性化する。ギリシア悲劇のコーラス、中世の道徳劇の寓意的な登場人物の客観的な自己紹介、古今に渡る多くの劇(ブレヒトの叙事演劇を含む)での舞台と観客との直接のやりとりなどである。」(3.5.2.)劇で彼が語る内容は一般的寓意的である。この道化を、この劇の「媒介的コミュニケーション・システム」の一部とみなしてよいだろうか。

 

 

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