■イプセン『ヨーン・ガブリエル・ボルクマン』について

■テキスト

ここでは、イプセン『ヨーン・ガブリエル・ボルクマン』、『イプセン戯曲全集 5』原千代海訳(未来社、1989)を使用。

 

 

■質問(2014年度後期授業にて使用)

1 この劇における登場人物の概念を考える(Wallis and Shepherdを応用)。

(1)まず、モードから。「単純」と「複雑」を両極端とするスペクトラムに位置づける。「単純」極に近いのは、女中、フリーダ、エルハルト/ウィルトン夫人、フォルダル、そして「単純」から遠ざかり「複雑」極に近づく順序は、グンヒル、エㇽラ、ボルクマンのようだろうか。

(2)プロット機能の観点から考える。とくに脇役が興味深い。フリーダ、ウィルトン夫人、フォルダルのプロット機能について考えてみよう。

(3)グンヒル、エㇽラ、ボルクマンについて、その登場人物の原理(basis)は何だろうか。

 

2 劇の終りで双子の姉妹は互いに手を取り合う。これは、劇中において、いかに3人の主要な登場人物たちの視点が重なり合うことがないということの証左であるように思える。フィスターは「外的システムにいる観客は、各々の登場人物視点がつくる視点の幅(the range)からどのように作者が意図した観客視点を再創造できるのか。換言すると、作者はどのようなチャンネルを用いて観客にこの視点を構築させるのか」と、質問を投げかけている。この劇における「作者が意図した観客視点」はどのように再創造されるのか。

 

3 劇でも小説でも、プロットの進展とともに、登場人物の認識が変化することはよくある。逆に言うと、認識の変化のプロセスが舞台化されていることが多い。ところが、この劇では、登場人物の変化は舞台上で流れる時間内には生じない。と言うよりも、彼らの変化は既に過去に起きてしまい、彼らの今は過去の変化によって出来上がってしまっている印象である。登場人物によっては、遠い過去に固定してしまった例、あるいは近い過去に固定してしまった例がみられる。そのような人物たちのやり取りは、さながら「過去を持ち出す」ことのオンパレードである。この観点をさらに発展させてみよう。

 

4 アーキタイプ的な観点からこの劇を眺めれば、生と死との相克があるように思われる。さらにこの劇では、死の雰囲気は重苦しくこの家に垂れ込めているが、生は突然やって来ては突然に去ってゆく。この点を次の演劇観とともに考えてみよう――「悲劇的アクションには人間の生と死のリズムがあり、そのアクションはそれらの動的な形態を引き出す、というのがランガーの主張である。」(Shepherd and Wallis

 

5 この劇の主要な登場人物たちが観客に伝える情報は信用できるか。彼らの言葉が有する価値はその情報にあるのだろうか。例えば、フォルダルもまたボルクマンの公金横領の犠牲者の一人のようだが、夫人によると、エルハルトがその「償い」をしていると言う(一幕)。エルハルトがフリーダに音楽を教えているのは、はたして「償い」という動機からなのだろうか。また三幕でボルクマンは自分を没落させたのはヒンケルの「恨み」が動機だというが、これも確かなことはわからない。「登場人物視点を条件づけるのは、1)事前情報、2)心理的性向、3)イデオロギー的志向。これらの変数によって、同じ経験も眺められ方が異なる。」(Pfister, 3.5.1.

 

6 劇の主要な人々に関係するヒンケルは、劇の主要な人々の過去や関心と関係があるにもかかわらず、登場人物としては舞台に現れない。また、ヒンケル家は、ボルクマンと夫人が住む家とはまるっきり雰囲気がちがうようである。これらはどうしてだろうか。

 

7 興味深いのは、フォルダルという登場人物の機能である。とくに第二幕においては、彼はボルクマンという人間を照明する光源として機能していると思う。ボルクマンの取り巻きは権力者が失墜すると彼のもとを去ったが、フォルダルだけがボルクマンを訪ねてくる。二人は、悲劇(の修正)と、(人生の)再起の話題について繰返し話題にする。悲劇作家と、偉業達成の夢を見るビジネスマンとは、この劇のテーマの点で、どのように関係しているのか。また、この点にイプセンの自分の作品についての注釈を認めることができるだろうか。

 

8 (問7と関連して)社会現象の研究には演劇学的アプローチが応用されることがある。ヴィクター・ターナー『儀礼からドラマへ』やアーリー・ホックシールド『管理される心』などが思い浮かぶ。この事実は、演劇は人間集団と密接な関係があることを教える。しかし、この劇において、演技者ボルクマン、劇作家フォルダルがつくるドラマには社会がない。人間集団がない。観客がいない。ともに演技すべき役者がいない。日本語訳の412頁で、ボルクマンが二階で一人芝居を演じる(「〜になり、〜になり」)。そこでは役者と観客は彼自身である。このように孤独な人間の夢想のなかでのみ繰り返されるドラマについて、どのように考えればよいのか。

 

9 この劇のいくつかの細部は印象的である。一幕で触れられる「あたしたちが子供のころ隠れた、あの戸棚」。一幕終りに聞こえる「死の舞踏」の音楽。二幕冒頭にボルクマン自身が述べる「坑夫の倅」。二幕のエㇽラによる「眠れる黄金の精を目覚めさせる」という比喩的表現。四幕での「銀の鈴」、またフォルダルが橇に轢かれる事件。四幕での「氷のような鉱石の手」。これらを出発点にどんな議論ができるだろう。

 

注:Pfisterとは、Manfred Pfister, The Theory and Analysis of Drama (Cambridge: Cambridge UP, 1988)のこと、 Wallis and Shepherdとは、Simon Shepherd and Mick Wallis, Studying Plays, 3rd edition (London: Bloomsbury Academic, 2010)Shepherd and Wallis とは、Simon Shepherd and Mick Wallis, Drama/Theatre/Performance (London and New York: Routledge, 2004)のことである。

 

 

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