張 立

「楽しさと感動の体験−−留学生として名古屋大学での勉強」

May 18, 2005

大学は、その誕生から現在まで、知識と知恵の一つの象徴とされています。 様々な領域の高等教育において、大学はいつもすばらしい場所と考えられています。 大学で勉強する、あるいは自分の能力をレベルアップする−−その楽しさは、 みなさんにとっても一生忘れない経験となるでしょう。 特に、大学の卒業から時を経て、また大学(院)に戻った場合の、また勉強できるという楽しさと感動は、 言葉では表現できません。幸いなことに、私は名古屋大学国際言語文化研究科でその楽しさと感動を体験しました。

2003年の春、私は名古屋大学大学院に入学しました。それまで、私は大学を卒業して十年以上経っていましたので、 大学院の合格通知を貰った時、うれしかったと同時に大きな不安もありました。これからの勉強は順調に進むだろうか? 先生と若い同級生たちとのコミュニケーションがうまくできるだろうか?そうした不安があったのを覚えています。

しかし、入学式当日、私の心配は消えました。大学の構内を歩いていた時に様々な場面が目に入りました。 急いで図書館や教室を出入りする学生たち、肌の色が異なる学生たち、いろんな言葉で話している学生たち、 こういった活発な雰囲気や場面が私を勇気づけてくれました。大学の総長は式辞で新入生の状況を公表されましたが、 特に新入学生の年齢が20歳から63歳だという言葉は、私に元気を与えてくれました。このように、 初日に感じた学生の多様化と活発さは、私にとても深い印象を残しましたし、それからも私の心の糧となりました。

二年間の研究中に私は、責任感が強くて知識が豊富な日本人と外国人の先生たちによる様々な科目を受講する機会 に恵まれました。私の専門であるヨッローパのみならず、アメリカやアジアまで、各国の言語、文化、文学などを包括的に扱う授業、 また芸術、建築、メデイア技術などを詳細に論じる授業など、私の心に残っている授業がたくさんあります。 私だけではなく周りの同級生たちも、それぞれ自分の専攻、興味に適した科目を見つけて、二年間を過ごしました。 これは私の考え方や研究において新たなアプローチや独創的な発想を見出すのに非常に役立ちました。

留学生としての名古屋大学での勉強は、日本語、日本文化、日本人と身近に接する機会を与えました。 日本人は勤勉な民族として有名ですが、こういう特徴は教育、学術研究においてもよく現われます。 私は日本で自分の文化と異なる考え方、自己表現方法を観察し、名古屋大学で学んだ多様な科目 (例えば、異文化接触とコミュニケーション、文化緊張論などの理論)のおかげで、自分の日本文化や異文化に対する態度、 考え方に大きい変化が生じました。私は現在スイスのチューリヒで暮らしていますが、 これも私にもう一つの異文化を観察する機会を与えてくれています。

外国で勉強、そして生活する経験は、私に自分の文化についての再思考を促しました。中国の経済の発展とともに、 中国文化もだんだん世界に注目され始めています。自分の文化の再思考も意味があるはずです。 私が学んでいるチューリヒ大学では、中国映画とハリウッド映画を通して、二つの文化を比較するゼミナールが、 この文化再思考の機会を私に与えてくれています。

振り返って見ると、名古屋大学で勉強する間に、確かにいろんな困難がありましたが、それも私には良い経験になりました。 その時に身に着いた知識と着想に、私が死ぬまで励まされ続けることは間違いありません。

Li Zhang
dlxzldhz@yahoo.co.jp

 © 2002, Department of Modern European Studies
 Graduate School of Languages and Cultures
 Nagoya University, Japan