松浦宏信

「知識人たちの肖像−−ヨーロッパの場合」

2004年7月9日

学生になると外食する機会が多くなりますね。吉野家で一人寂しく牛丼をパクつくのも今となっては粋に感じますが、学食などで院生仲間あるいは先生方とともにする食事はやはり楽しいものではないでしょうか。

私は現在フランスで勉強しているのですが、お米を常食としてきたものにとって食事はいつも悩みの種です。学食以外には日本のように手ごろな値段で食べられるお店はあまりないため、外で食べるときは大抵サンドイッチを買うのですが、これもバゲットにチーズやハムなどが挟んであるもので、ぽかぽか陽気ならまだしも、寒風吹きすさむなかこの堅物に齧りつくこちらの学生たちのたくましさにはいつも感心しています。同じ冷たいものだったらおにぎりのほうを食べたいものです。

このバゲットサンドイッチ以外の選択肢として学生に人気なのが、「ケバブ」という、半月型のパンのなかにお肉、たまねぎ、レタス、トマトなどが入ったトルコサンドイッチでしょうか。安くて栄養もありそうなのですが、私にとってはかなりこってりしたものでお腹にこたえます。とはいえ、ケバブ好きたちに連れられてお店に行くと、たくましい髭に腕毛をたくわえたトルコお兄さんがこちらの注文をかき消さんばかりの威勢のいい声を上げながら調理をしていて、この食べ物がワールドカップ3位の原動力、トルコのEU加盟を恐れさせる源か、などと勝手に納得するものです。ちなみにお連れの皆さんは私が苦労している脇でとてもおいしそうにがっついているのでした。

その人たちは日本人のわりに私と違って彫りの深い顔立ちをしていて、高校の社会で習ったことにしたがえば、きっと狩人たる縄文人を祖先にもっているに違いないとよく空想するものです。ニーチェやプルーストが抱いたのと同じような感情でしょうか?でも、彼ら2人も写真で見る限り髭でごまかしている感はあるとはいえキリリとした顔をしていますね。

ところで、写真というものがなかった時代に生きた知識人たちの容姿を今に残すのものに肖像画があるでしょう。国際言文のトップページを飾るラファエロの『アテネの学堂』は空想の産物ですが、誇らしげに指を天に掲げるプラトン、その脇であたかも師を諌めるかのように手を水平にするアリストテレスの風貌などはかつての哲人たちのありさまを生き生きと伝えているのではないでしょうか。ここで、古代ギリシャは果たしてヨーロッパといえるのかという疑問が湧きますが、今年度2004年におこなわれたサッカーヨーロッパ選手権の優勝国がギリシャであったことを彼らはどう考えているでしょうか。想像は尽きません。時代は下り、いまなおユーロを頑なに拒むイギリスに目を向ければ、そこにはやや禿げたシェークスピアの肖像があります。そのユーロを推進するフランスが誇るデカルトはやや眠たそうな目にロン毛をなびかせていますが、近代科学のもう一人の父たるニュートン、そしてその思想をフランスに広めたヴォルテールは上品なかつらで正装していますね。このニュートンが、今から見れば怪しげな、でも化学の成立とは切り離せない錬金術に勤しんでいたことは、ジャネやフロイトがメスメリスムに由来する催眠療法を実践していたことなどとともに思想史上の重要なテーマとなるでしょう。おそらくヴォルテールよりもニュートンを理解していたシャトレー夫人、色っぽい背中をみせて見返るギャスケルもいいですね。トマス・ハーディの時代まで来ると写真で当人を見ることができるようになり、フーコーのにやけ顔やデリダの挑発的な視線は映像のなかの出来事となりました。そういえば、サイードが気丈にも死の直前にイラク戦争に反対して行った演説をテレビで見たことを思い出します。

顔は時を刻みつけていくものではないでしょうか。そしてその時間はまわりにいる院生仲間や先生方とともに流れていくものでしょう。ですから国際言文の皆さまがますますよい顔をされていくことは信じて疑わないところです。

 © 2002, Department of Modern European Studies
 Graduate School of Languages and Cultures
 Nagoya University, Japan