論文作成のプロセス(今井田亜弓)

2004年4月より、多元専攻助手として勤めさせていただくことになり、博士課程に在籍する院生のみなさんと接する機会をいただきました。論文作成までのプロセスは、それぞれ異なると思いますが、私が博論を書く上で辿ったプロセスをお話することで、これから論文を書いていこうとする院生のみなさんが、その過程で超えなければならないいくつかのハードルに対する精神的負担が少しでも軽くなればという思いをこめて、僭越ですがプロセスを簡単にまとめてみました。ただ「喉もと過ぎれば・・・」というように、論文のことばかり考えていた苦しい(!?)日々をおくったにもかかわらず、今になってみると、その全てを詳細に思い出すことはできないように思われますので、大まかな事柄をまとめさせていただくことにします。

「1年次研究発表会」までの1年目は、論文の目的を定める、全体の構成について考える、執筆計画をまとめるということで終わったように思います。外国語習得というテーマは、修士論文の作成においてすでに持っていたものでしたが、博士論文では、習得過程の分析から得られた結果を言語教育にどのように活かすことができるかを第1の目的とするため、外国語習得に影響を与える要因(とりわけ外的要因)の考察は非常に重要なものとなりました。従って、学習者が様々な種類の言語的単位に遭遇する順序・頻度・重要さ、遭遇する語や文構造の特徴という言語インプットが操作される方法を、自らの授業をもとに記述し、自らデータを収集し、分析をするという点で、修士論文とは比較にならないほどの労力を要することになりました。これらに費やす時間とエネルギーを考えると、夏休みまでは、何から手をつけていいのやら途方にくれる状態でしたが、主指導教官である小坂先生から、「まず修士論文で書いたものを日本語に訳してみては・・」というアドバイスをいただき、ドイツ語でまとめた修士論文を少しづつ日本語に訳す作業から始めました。それらを行っている間に、修士論文における成果と問題点が次第に明らかになり、同時に博士論文における目的もはっきりしてきました。夏休み過ぎに大まかな構成をまとめ、まず第3章となる先行研究に取り掛かりました。ここでも、小坂先生の「まず書き始めてみることですよ」というアドバイスが後押ししてくださいました。

「研究発表会」後は、第1章「格」の執筆に取り掛かると同時に、後期課程課題のひとつである「レフリー付き雑誌への論文提出」のため、「文を理解する上での手がかり」に関するデータを収集し、分析を行いました。データの分析にあたっては、統計及びSPSS操作等に関する知識が必要とされ、このため何度も副指導教官の先生がたにご教示を仰ぎました。この論文の執筆には、当初考えていた以上の時間を費やすことになりましたが、結果的に第4章を構成する上で、大事な部分を占めることになりました。ただしここで書いた論文を、論文全体の中で、どのように位置付けるのかという点では、非常に苦労しました。

「2年次資格審査会」では、「学位論文の1部分を構成する論文」として、第3章の「先行研究」を提出しました。私の論文では、データの収集及び分析がもっとも大事な部分を占めるため、「審査会」以後、副指導教官の先生がたにも集まっていただいて、データ収集に関する今後の計画について、話し合う機会をいただきました。その結果、当初予定していた調査のうち、「格習得順位」に関しては、実施するタスクを増やし、より厳密な習得順位の獲得に努めること、また言語教育の可能性を探る目的で予定していた産出タスクによる調査は行わないことになりました。あるひとつの事柄を実証するためには、いかに厳密な調査が必要とされるかについて改めて考えさせられました。

資格審査後は、夏休み前に実施を予定していたデータ収集のため、タスクの作成にかかりました。タスクの作成にあたっては、友人であるドイツ人教師のアドバイスも参考にしました。3つのタスクによって得られたデータを評価し、打ち込む作業は、ほぼ夏休みいっぱいかかりました。これは、タスクのひとつである誘導作文のデータが膨大なものであり、また評価の妥当性と信頼性という観点から、筆者以外の方にも評価を依頼したためです。統計ソフトSPSSが入ったコンピューターが大学にしかなく、しかもそのコンピューターが何度も壊れるというアクシデントもこれらの作業を滞らせる原因のひとつでした。データ打ち込み作業の傍ら、参考文献を基に第2章の執筆にもとりかかっていました。秋には、第4章を構成するパイロットスタディー2をまとめ、雑誌に投稿しました。この時点で、時間的に無理かという思いはありましたが、小坂先生からは、頑張って今年中に書き上げるようにといわれていました。9月に入り、データの記述と分析を行い、第5章を書き始めたころ、母が突然入院、手術することになり、付き添いなどで論文を書く時間はほとんどなくなってしまいました。3年間で書き上げられないということがはっきりした時点で、かえって気持ちは少し楽になりました。翌年の2月までに第5章「仮説の検証」と第2章を執筆しました。第1章「格の機能」については、かなり前から執筆に取り掛かってはいましたが、そこでの記述があまりに一般的過ぎるというコメントをいただいていたので、自らの調査に必要な部分に言及し、オリジナリティーが出せるよう書き直しをし、博論の草稿ができあがったのは、予定から半年遅れた6月はじめでした。言文の事務に論文を提出した時点で、「論文」が自分の手を離れたことに対する解放感で一杯でした。

論文を書いていく上では、構成や内容の変更を余儀なくされることもあり、また自分ではどうしようもないアクシデントも起こるなど、そのプロセスは決して平坦なものとはいえないと思います。しかし、今この3年半を振り返ると、いくつかの点で非常に恵まれていたと思います。主指導教官である小坂先生からは、常に「早く書き上げなさい!」という励ましをいただきました。時としてかなりのプレッシャーにもなりましたが、最後まで気を抜くことなく、集中力を持続して書き続けていくことができました。また、ひとつの章を書き上げる毎に、必ず指導教官の先生に見ていただくようにしました。私の場合は、統計に関してご教示を仰ぐことが多かったこともありますが、一人で書き進んでいると、自分の方向が正しいのかどうか、時として非常に不安になることがあります。最後になって、大きな書き直しを迫られるという危険を回避するためにも、先生にはご無理をいっても見ていただくことが大事だと思いました。また同じように博論を書こうと苦しんで(!?)いる友人と意見交換できたことも、大きな助けとなりました。反省すべき点としては、もう少し早い時点で研究目的を明確にし、とりかかることができなかったか、データの入力・分析はもう少し効率よくできなかったかという点です。これらを計画的に進めることができていたら、1年目の夏休みまでと、データ入力に費やした3年目の夏休みの無駄な時間を、若干でも節約できたのではないかと思っています。

私の場合は、非常勤の仕事をしていたので、論文にとりかかるのは、学期中は主に早朝に限られましたが、ひとつのことにこれだけ集中できた3年半という期間は、本当に貴重な経験となりました。もちろん「博論を書き上げる」ということは、研究をしていく上ではひとつの過程にしか過ぎませんが、「あきらめない」で淡々と続けていけば、それらがやがてひとつの形になるのだとしみじみ感じています。