「場」を持てることの幸せ

谷川裕子(多元文化論講座 博士前期課程2年)

 

いきなりですが、私は小学校高学年からずっと不登校児でした。元々はまあ、勉強は好きだったのですが、学校という場所がなんだか窮屈で、高校時代などは映画館に入り浸ってばかりいました。なんとか学部まで卒業はしましたが、当時まさか自分が将来大学院に進むことになろうとは夢にも思っていませんでした。なにせ、中学からの平均登校日数がよくて半分、ひどいときは1/3近かったのですから。得難い友人たちとは出会えましたが、学部を卒業した時は、ああもう一生学校に行かなくていいんだとほっとしたのが正直な感想です。10年ほど前のことです。

そんな私が今年一年、大学院の授業をほぼ皆勤で出席したのは人生の一大事です。この変わり様は何でしょうか? それはとにかく、勉強するのが面白かったから。それに尽きます。中世の絵画について学べば、遠く別の時代に生きた、本来は何の関係もないであろうと思っていた人々の世界観・宇宙観に思いを馳せることがたまらなく楽しく、ブレア首相がなぜgovernmentと言わず、governanceという言葉を使うのか、考えれば考えるほど興味が広がってゆきます。枚挙にいとまがありませんが、今年一年の収穫は、大学院という「場」がなければ、おそらく一生得ることがなかったものでしょう。私の専門分野は映画ですが、一見それとは関係ないような歴史や思想、言語に関する知識を学ぶことが、自分の専門分野に豊かさと深みを与えるのだと実感するようになりました。そしてそれらは、今現在、私たちが生きている社会のシステムと決して無関係ではないのです。映画ばかり見ていた時期も、好きな小説ばかり読んでいた時期もむだではありませんでしたが、もっと掘り下げてものを考える方法の入り口に、やっとたどり着いたような気がしています。

ある先生の「自分が惹かれる対象は、自分を映し出す鏡だ」とのお言葉が特に心に残っています。なぜだかわからないけれど、心惹かれ、追求せずにいられない。それでもそれはきっと、そうせざるを得ない理由があるからなのでしょう。それが何なのかをはっきりさせるために、私はこの道を選んだのだと思います。

私の場合は少々特殊なケースですので、大半の方、特に現役学生の方の感覚とは差があるかと思います。ですが、院を目指そうという思いを抱いてこの拙文を読んでくださっている現役社会人の方には、社会にいったん出てから湧いてくる、勉強したいという強烈な思いというのはわかっていただけるのではないでしょうか。私はフリーランスで不定期に仕事をしていますが、フルタイムの仕事を持って研究を続けている先輩方もいらっしゃいますし、お子さんがいて、忙しい中熱心にとりくんでいる友人たちもいます。授業準備と大量の仕事が重なり、連日徹夜という日々もありましたが、それでもそれは自分の選んだ道。実はさんざん弱音は吐いていましたが、入った以上やるしかないと肝に命じてがんばりました。やはり仕事を優先せざるを得ないことにはなりますが、自分のペースで、たとえゆっくりでも、結果的に遠くまで行ければそれでいいのではないでしょうか。

本研究科の最大の特長は、多岐にわたる分野をカバーする先生がたくさんいらっしゃる点です。そして、いろんな先生に自分の修論に関するアイデアを見せて意見をお尋ねすることが奨励されています。狭くなりがちな自分だけの視点からいったん外に出て、先生方の意見を自分の中で咀嚼していく。もちろん、「そんなのおかしい!」と思うこともあります。が、それではなぜ自分はそのように考えるのか、論理的にきちんと考え、説明できることが必要なことに気づきます。それが単なる知識不足であれば謙虚に受け止めて精進するしかありませんし、しかし自分の視点もなんとか理論立てることができるよう、工夫も必要になるでしょう。外からの刺激を受けつつ、自分で考え、理論を構築し、表現する。このような作業が大学院では不可欠です。答はほとんどの場合、簡単には出ませんが、多岐の専門分野にわたる先生方や学生たちとの意見交換を通して、自分を見つめ直す「場」があるのは貴重です。そのために大学院があるのだと思います。論理的にものを考えるのがどちらかというと苦手だった私には慣れない作業ではありますが、それでも得られるものはとてつもなく大きいと信じています。実際、家ではこの一年でものの言い方が変わった!と言われています。いつもの私をご存じの先生方がこの拙文を読んで苦笑されている姿が目に浮かぶようではありますが、私にとって、この一年間はまさに特別な年でした。

ここは、端的に言ってとても「自由」な場所です。院生同士も仲が良くアットホームな雰囲気で、その点は社会人の方などでも特に心配されることはありません。ただ、「自由」というのはおそろしい面も持っていて、責任を引き受けるのはすべて自分です。そのためには、やはり問題意識をもって学び続けることが大切だと思います。

私の場合は、元々ものを書くことが好きで、それだけはずっと続けてきました。ある程度それで満足しているつもりでしたが、よいものを書くために、その土台となる基礎的な知識の蓄積が圧倒的に足りないと気づき、本研究科にたどりついた次第です。そして、それは正解でした。修士二年目を迎え、いよいよ修論に重点を置いた生活が始まりますが、土台作りも決して疎かにせず、よいものを作りたい。そのためにこの「場」を最大限に活用したいと思っています。

最後に一つ宣伝させてください。HPを持っています。のぞいていただければ嬉しいです。URL: http://www32.ocn.ne.jp/~kosamunohige/

(2004.4.7)