修士論文を書き終えて

井上誠一(多元文化論講座 博士後期課程1年)

私は平成14年度に本研究科博士前期課程に入学し、16年1月修士論文を提出、3月修士の学位を取得することができました。この場を借り、ここ(大学院生活)に至るまでの私の個人的な体験について、少し感想ないし感慨を述べさせていただきます。

ただ、実は私のような大学院生は珍しくはありませんが、まだそう多くはなく余り若い方々には参考にならないかもしれないことをお断りしておきます。簡単な自己紹介をしますと、私はいわゆる団塊の世代にあたり68年〜70年ころ、青春時代の真っ盛りを過ごしました。大学を卒業し進路を決めなければならなかったころ、文学部歴史学科の不真面目な学生だった私は、大学院に進学する勇気も自信もなく、憧れの就職口はどこも狭き門で、結局地元に帰り、市職員(今日では難関)になってしまいました。自分のことはさて置いてかつての職場を批判させていただくと、地方自治体の体質ないし行政の実態は、権力に弱く、問題の先送りなど無責任で卑怯な態度に満ちています。一見スマートな合理主義が裏面のどろどろした義理と人情のない交ぜになった農村共同体的な因襲とともに併存し、無言の保守的抑圧がいまだ根強く支配している所です。これは一地方自治体の例ですが、日本全体にもかなり一般的に当てはまることで、国政においても長い保守政治を支えてきた基盤であり、「革新」側も結局有効な変革の一打をも放つことができずに、敗北の構造が今日までずるずると続いてきてしまっているように思われます。私には水と油のような関係の職場だったにも拘らず、20数年も粘りましたが遂に次の職場のあてもないままに退職しました。その後数年、渡仏も含めいろいろ武者修行のような浪人生活をして、やっと若き頃遠い存在であった大学院の門を叩きました。その間のことはすべて無謀な生き方のようですが、私の内側には周囲の社会や世界の様々な事物に対する違和感がそれほど強く渦巻いていたように思っています。もちろん大学院に居場所を見つけた今でも自分が世間一般の常識から外れた者だという感情が消えませんが、後悔はしていません。ただ、「名刺」を持てなくなったそのときの気持ち(前向きな意志?)をいかに持続させて、今の研究生活に活かし繋げていくかということが一番大事であるが、研究に対する弱気の虫が抜けない怠け者の私にはなかなか困難なことです。

以上振り返れば、非常に遠回りをして、自分にとってより適した居住空間を見つけたと言ってもよいのですが、大学院の主要な使命は特に若い研究専門家養成の機関ということにある以上、私のような経歴と年齢の学生にはそういう目標は初めから無理なので、断念したうえで、あくまで自分の前半生を総括し、世界の普遍的問題への関心事をより学問的に研ぎ澄ますことそれ自体に情熱を燃やすようにできればよいのではないかと考えています。ただ、このたび修士論文を書き、その過程で指導教官の先生方に完成にまで導いていただいた経験から思いましたのは、私も読書は好きなほうですが、「文章」とひと口に言っても、そのなかにはいろいろ性格の差異が存在するということが、はじめてよく解かりました。専門性ということの厳しさを痛感することができたのではないかと思っています。ただ私に甘えがまだあるかもしれませんが、本研究科は文字通り国際言語文化を研究するところであり、特に私の所属するのは国際多元文化専攻ということなので、いわゆる狭義の文学、言語学、その他の人文学などの垣根を越えて学際的に多元的に人類、世界の問題を扱うところに特色があるのだと、我田引水ぎみに(?)解釈し、いまのところ得意分野のない自分の至らなさの逃げ道を作っている状態です。

最後に、私の修士論文の紹介をさせていただけば、中江兆民の思想とその人生を時代背景のなかで追求し、いかに兆民が時代と格闘したのかを浮き彫りにしようとしたものです。なーんだそんな古いマイナーなテーマか、多元的じゃないなと考えられるむきもあろうかと思いますが、彼のぶち当たった現実の世界は今の私たちの直面している世界のテーマ(少なくとも私個人のそれ)と一部を除きその構造はほとんど変わっていないことが論文作成前の予感であり、結論でもありました。中江兆民の生涯の50数年を既に私は漫然と生きてしまいましたが、彼もやはり当時の世界、社会に激しい違和を持っていたが、平凡な私など及びもつかないほど深く広く問題を思想化した思想家であったと考えています。ただ論文をフランス語で書くということで、完全には自己表現しきれないもどかしさと逃げもありましたので、今後の課題は彼の辿った足跡の中にもっと深く詳しく入っていって、私自身の判断基準で少しはメスでも入れられるくらいにならなければいけないのではないかと自分に言い聞かせているところです。そこまではまだまだ路はるかですが、すばらしい先生方、同僚の存在を励みにして努力していきたいと思っています。

(2004.4.1)