東アジア言語文化講座
大学院生・修了生エッセイ集


陳玲玲(平成18年度博士後期課程修了:文学博士)
 「人の師表となる」

  日本に留学する前、私は中国の二つの師範大学で中国文学の学士と修士の学位を取り、大学で三年間教鞭をとるという経験をもった。私は自分も大学教師として資格をもつものと思っていた。しかし、名古屋大学国際言語文化研究科にきてはじめて、人の師表〔模範〕となるという意味を本当に理解することができた。
 私が国際言語文化研究科で修めた科目は多くなく、知ることのできた先生も多くはない。自分の指導教員、中井先生、星野先生以外に、それから第二外国語の英語の先生、上原早苗先生である。後で上原先生も私の指導教員の一人となった。そのほか事務室の大島美子さんである。この数少ない数人の先生から、私は終生自分のためとなる品性を学んだ。
 中井先生は極めて謙虚であり、仕事をいい加減にしない先生である。聴講生として講義を聞きはじめて以来、卒業するまでの六年間の間、彼が授業のとき着席したのを見たことがない。たとえ十数名の院生がいるだけの授業でも、教卓がなく、講義原稿を机において二時間腰を曲げて立っている。ごま塩の頭、痩せた身体で、その位置でそのまま彫像になっていた。彼は授業で出欠をとることがなく、受講するすべての学生に対して極めて鄭重である。彼は、学生が忙しい中を教室に駆けつけ、何かためになることを得ることもなく、時間を浪費してしまうことを恐れていた。中井先生は、学生がその講義を聴くよりも、もっと大事なことをするように勧めた。遅れてきた学生に彼は一言の叱責もしないばかりか、講義資料を丁寧に学生の手に渡す。早退する学生に対しては、彼らの境遇を理解して、善意の注意をして促した。彼の声は小さく、顔にはいつも悲しみ憐れむような笑顔がある。「理解するがゆえに、慈悲がある」、張愛玲のこの言葉は中井先生の最も良い描写である。
 しかし、中井先生の慈悲と寛容は、決して彼が無原則だということを現すものではない。彼が私の博士論文を指導するとき、第一章だけで、まるまる十回も修正し、どの原稿にもびっしりと修正の筆跡が残されていた。彼の字は小さく、きちんと整って、一字一角と書いたもので、いかにもまじめで、謹直であった。彼の性格はまことに質朴で恥ずかしがりであり、事務棟で出会うたびに、お互いに譲り合って、さいごに彼は壁に張りつくようにして道をゆずってくれた。
 私は星野先生の授業を受けたことがなく、お会いした回数も多くない。私はいつも草稿を先生に手渡し、二三言話して失礼をする。その後、彼女は原稿を取りにくるように連絡してくれ、その修正意見は草稿に書きしるしてあった。私の住んでいるところが学校から遠く、私の子どもが小さいことを知って、星野先生は修正意見を電子メールで私に伝えてくれた。そして焦らないように、ゆっくりと書いて、長期的に考えなさいと言った。星野先生は自身が三人の子どもの母であるため、女性研究者として受ける様々な圧力を知っていた。私は星野先生に感謝している。彼女は私の良い模範である。彼女は東京大学の文学博士であり、藤井省三先生に師事した人であるけれども、しかしもの静かなほど謙虚であり、「音もなく細かに、ものを潤す春雨」のようである。
 上原先生は英語の授業で知った。私は日本にまで来て英語を学ぶ自分をひそかに笑った。しかし私は上原先生から、西洋文化の薫陶を受けた東洋の女性の美しさを見た。上原先生は服装や動作に気を配り、その言葉は服装と同じように、細やかで美しい。彼女は英国(ケンブリッジ?)に留学したことがあり、深く言葉の魅力を知っていた。上原先生はその留学の間に、少なからぬ中国人留学生と知りあい、彼らの博学と大志に好ましい印象をもっていた。私の論文を指導してくれるときにはいつも、必ず主指導教員の意見を尊重しなければならないこと、彼女の意見はただ参考とするように、と念を押した。私は上原先生の学識を尊敬し、彼女の人となりに敬服した。
 大島さんは事務室の窓口を隔てて大学の情報や事情を説明してくれただけであるが、しかし学生に対する彼女の愛情と丁寧さは、たえず私の心を温かくしてくれた。あるとき夫が子ども抱いて私のそばで待っていると、そのときにはすでに勤めの終わる五時を過ぎていたのだが、大島さんは私の出した書類を受けとってくれただけではなく、わざわざ事務室から走りでてきて子どもを抱いた。あとで彼女の仕事は変わり、窓口にはいなかったが、しかし出会うごとに、いつも時候の挨拶をして、「私の悲しみを悲しみとし、私の幸せを幸せとする」(「牽手〔手をつないで〕」の歌詞)のだった。大島さんは、私が口述試験をとおって、博士学位を取ったと知ったとき、大声を出して喜んだ。しかしさいごに、国に帰ると別れを告げたとき、私たちは抱きあってともに涙を流した。今年彼女のくれた美しい年賀状には、「美」とは羊が大きいという意味ですか、と尋ねていた。私は、それがお供えをして祭るもので、お供えする羊が大きければ大きいほど美しいのです、献げるがゆえに、美しいのです、と答えた。大島先生、ありがとう。あなたは自分の愛を多くの異国に住む留学生に献げてくれました。あなたは私たちの心の中でいつまでも美しい。
 百年前に、魯迅は仙台で恩師の藤野先生に出会った。百年後、私は名古屋大学国際言語文化研究科で心温かい尊敬すべき先生方に出会った。いま、私は帰国して上海交通大学で教師をしている。私は人の師表となることを心に刻んで、私の学んだものを私の学生に献げるつもりである。  (2008年4月3日)