東アジア言語文化講座
大学院生・修了生エッセイ集


寇振鋒(平成18年度博士後期課程修了:文学博士)
 「国際言語文化研究科での留学生活を振り返って」

  この三月に、名古屋大学国際言語文化研究科での四年半の留学生活に終止符が打たれました。修了式の時に研究科長から手渡された念願の博士学位記を実際に手にして、喜びとともに言葉では言い表せない複雑な心情が自然にわきあがってきました。この学位記にはさながら鏡のように、四年半の留学生活において味わった喜怒哀楽が映し出されています。
 今、振り返ってみると、この留学生活は、私の人生の中で短くも長くも感じられた時期だと言えます。下宿先は、大学まで歩いて五分もかからないところにあり、そのおかげで、ほぼ毎日のように図書館・院生室・家という三点を行き来する生活が続いていました。ずっと緊張していたため、時間があっと言う間に経ってしまった気がしました。ですから、この四年半の留学生活はまるで四日間のような短さに感じられるのです。
 一方で、留学生活が長く感じられたのには、二つの理由が挙げられます。一つは、日本に留学する際に、まだこの世に生まれていなかった息子がもうすぐ五歳になることです。もう一つは、二年ぶりに会った友人、同僚たちに「あなたは老けたね」と言われたことからも客観的に推し測ることができるでしょう。「不老町」にある名古屋大学に居ていたとしても、やはり知らず知らずのうちに老けてしまったことは、事実だと認めなければなりません。今振り返ってみると、この四年半は本当に長かったなと実感しています。誰にも阻止できない、この四年半という時の流れが如何に遅かったか、そして如何に速かったか、私自身にしかよく分からないといえます。
 実は、日本に来る前に長年、大学教員として働いていました。博士号を取るという、私にとって妄想と言っても過言でないような夢を抱えて、名古屋大学大学院国際言語文化研究科にやってきました。正直申しますと、国内の仕事を中断し、再び学生生活に戻っていくという道を選ぶのは、多大なリスクを冒す選択でした。もしかしたら、博士号を取ることもかなわず、更に泣き面に蜂で、職を解かれてしまうかもしれないなど複数の不安要因を抱えながら、名古屋大学での留学生活をスタートさせました。
 内心の不安は、自身が好き好んで選んだ名古屋大学の立派なキャンパス、建物に囲まれて暮らしている中でも消え失せることがなかったのです。長い間、どうしても落ち着くことができない心境が続いていました。そして、入学してから、たくさんの研究上の疑問に直面していました。まず、留学生としての私は、如何に研究を進めればいいか、まだ指針が定まっていませんでした。指導教員である中井政喜教授に相談してみると、「論文は出さなければならないですから、取りあえず一本書いてください。」と言われました。先生のおっしゃった言葉をとても意味深く感じていました。論文を書くには、沢山の資料を集め、読み進めていかなければならなりません。そして、執筆中に自然に次の二本目、ひいては三本目の構想が次々と頭に浮かんできました。しかし、一本目の論文草稿ができてから、中国と日本との論文の書き方や言葉の使い方などの違いがまた問題になりました。これに対して、先生は煩をいとわずに一つ一つ教えてくださいました。
 先生の最初の一言が、私の研究の始まりであったばかりか、将来の研究生活にも深くつながっていると言えます。そして、後輩たちに研究に関することを聞かれる場合に、まず先生に教えていただいた言葉を、私も勧めています。
 中国の「一分耕作すれば、一分の収穫がある」という諺のように、収穫には、日々の耕作が不可欠なのです。国際言語文化研究科での四年半の留学生活は大きな成果を収めたと確信しております。もちろん、この四年間に得た収穫は、ただ博士号を取得できたということのみならず、研究方法、論文の書き方、言葉の使い方など数多く身につけることができました。
 ここで得た知識を大事な財産として持ち続け、これからの研究、仕事に十分生かすことができると信じています。今回の留学生活は、一生忘れられない、かつ誇りに思うことができる人生の中の重要な一ページだと思います。
 最後に、断っておきたいのは、幸いにして博士号を取ることができたのは、私一人だけの努力によるものではなく、指導の先生たちをはじめとする友人、家族その他諸々の方々からの賜り物です。本当に多くの方々に支えられたからこそ、今日までたどり着くことができました。今までお世話になった先生たち、そして私と接してくださったすべての方々に、この場を借りて深くお礼を申し上げます。 (2007年4月5日)