院生による専攻紹介
  




寺島啓子 博士後期課程 日本語教育学講座所属
 私は平成12年4 月に国際言語文化研究科日本言語文化専攻日本語教育学講座に入学し、現在も同講座で勉強中の学生です。同時に、日本語を外国語として学ぶ人たちに日本語を教える日本語教師でもあります。
 私は大学院入学以前から既に日本語教師として、民間の日本語学校、大学の留学生センター、市民講座などで日本語を教えていました。大学院に入学したのは、きちんと理論を勉強して、より効果的な日本語の授業ができるようになりたいと思ったからです。当時、私は、果たして自分の授業がどれだけ学習者の役に立っているのか、現在の教え方で良いのか、日本語学習者の日本語に接したとき、日本語教師が考える「日本語のうまさ」と日本語教師以外の人が考える「日本語のうまさ」との間にズレがあるのではないだろうか、など、日本語教師としての多くの疑問を抱えていました。このような疑問を解決し、もっと自信を持って日本語を教えられるようになりたいと考え日本語教育学講座に入学したのです。大学院で私が得てきたことは期待以上のものであった言っても決して過言ではありません。
 まず、講義に関して述べると、本研究科では、私が期待した日本語教育の理論だけではなく、日本語教師として知っておくべき日本語学や文化、他の言語との対照研究などの講義が開講されています。また、単に日本語だけにとどまらず、言語理論や言語習得、談話など、広く言語に関わる問題を取り扱う講義や、言語研究に必要なスキルに関する講義などもあります。また、他の研究科との風通しもよいため、コンピュータのプログラミングやコーパス構築、統計処理など、おそらく他の「文系」の研究科では開講されていないのではないかと思われるような講義も受講できます。このような環境の中で、私自身は、言語に関する知識を得ただけでなく、研究のおもしろさ、奥深さ、入学前に漠然としか分からなかった自分の本当の興味や可能性にも気づくことができたように思います。
 また、より広い視野がもてるようになったことも大学院で得たこととして挙げられます。本研究科にはさまざまな国籍、年齢、経歴の学生が在籍しています。そのため、入学前には教師の目でしか見られなかったことがらも、実はいろいろな立場からのいろいろな見方があることが分かりました。これは本研究科の学生であることの大きなメリットだと思います。私自身、まだまだ未熟ではあるものの、物事は一面的な見方だけではなく、常にいろいろな見方をすることが必要だということに気づいたことだけでも、大きな進歩だと考えています。 さらに、当たり前のことなのですが、研究と教育は常に結びついていることを実感し、実践できるのだと分かったことも、私にとっては大学院で得た重要な認識です。入学以前は、研究は学者がすることだと思っていたのですが、本研究科に入学して、語学教師一人一人が多くの研究課題に直面しており、自分さえその気になればすぐにでも研究者にもなり得る立場にあるのだと分かりました。これが分かった上で大学院に在籍することのメリットは、 その研究にじっくり時間がかけられること、また一人の力では及ばないような研究でも、研究協力者がすぐに見つかること、研究相談相手が豊富なことだと思います。それに、明言する人はあまりいませんが、「学生」であるため、失敗してもそれをフォローしてもらえる立場にあることも、私は密かに大きなポイントではないかと考えています。加えて、本研究科には新聞、書籍、話し言葉などの電子化された豊富なデータベース(コーパス)があり、その利用を助けるさまざまなツールが既に準備されているため、先行研究では成し得なかったさまざまな研究ができる環境にあります。さらに、このデータベースやツールは現在も構築中で、院生という立場上、自分の研究に必要なデータやツールを申請すれば、それが使えるようになる可能性が高いというメリットもあります。
 このように、本研究科はいろいろなことを考え、身につけ、実践できるところです。私はまだまだ発展途上の身であり、本研究科の価値がきちんと分かっていないところもあると思います。しかし、私が自信を持って言えるのは、本研究科は自分次第で自分の可能性を大きく広げられる場だということです。
 「忙しいから」「自分には能力がないから」「若くないから」などというのは自分への言い訳に過ぎません。まずは一歩を踏み出すことが大切だと思います。初めの一歩は大きな一歩である必要はありません。軽い気持ちで少し動いてみるだけで、自分で予想もしなかった大きな世界が広がっているかもしれません。私はその予想もしなかった世界を楽しんでいる数少ない人間かもしれません。また、もちろん大学院だけが自分の可能性を広げられる場だというわけではありません。しかし、大学院に少しでも興味を持ってこのページを覗いてみた方になら、本研究科が自分の可能性を広げる重要な選択肢の一つになり得ることは間違いありません。

ジャミラ・モハマド(マレーシア) 博士後期課程 日本語教育学講座所属
 1999年の春、名古屋に来てすでに3年間が経ちました。来日したのは初めてではないですが、日本はそれぞれの地域によって生活環境や人々の生活習慣が違いますので毎日新しいことを経験しています。
 子供の時から、ローマ字やアラビア文字の他に中国系の人達が使っている漢字も身近にあり、なんて不思議な文字なんだろうと思いとても興味を持っていました。しかし、中国語なら他民族国家のマレーシア国内ででも習うことができます。世界に出てみたいという希望を抱き、同じく漢字を使っている日本は最もふさわしい国であると考えました。また、日本で学位を取得すればマレーシアに帰ってからも仕事には困らないし、新鮮で新しいことにも挑戦できるということから日本に留学することを決意しました。
 そして、1992年の春に初めて来日しました。留学先は茨城県、筑波大学日本語日本文化学類でした。日本に来る前に日本語や日本の文化等については色々習いましたが、やはり日本に来てからは、まさに「百聞は一見に如かず」、文化、習慣、そしてマレーシアとは全く違う気候もすぐ理解できました。一年中熱い国からきた私にとって、最も印象深かったのは日本の四季のことでした(雪を見るのはその冬が生まれて初めてだったんす!)。勉強の面では勿論不安や苦労も多かったですが、日本での生活はあまりにも楽しくてあっという間に4年間が過ぎてしまいました。(当時お風呂や温泉に入る習慣にはどうしても慣れず4年間入らずじまいでした!)
 二度目に日本に来たのは、1996年の秋でした。その時は埼玉県、北浦和にある国際交流基金日本語国際センターで日本語教授法や日本語教育について学ぶため、日本語教師になる研修を9か月間受けました。帰国後、マレーシアのマラヤ大学にある日本語予備教育機関(AAJ)で日本語教師として2年間くらい勤めました。教師としての仕事に生き甲斐を感じ充実した日々を送りながらも、教えてみて初めて直面した疑問や問題もありました。そこでもう少し日本語教育について勉強したいと思いました。幸いにもマラヤ大学に教師として籍を置きながら、文部省奨学金をもらい日本の大学院に進学できることになりました。
 現在博士前期課程から引き続き、マレーシア人を対象に日本語の「丁寧体」と「普通体」の使い分けの習得に関する縦断的な研究をしています。日本語では同じ事柄を述べる場合も、相手や場面によって文体を使い分けているのに対して、マレーシア語には同様の言語形式が存在しないため、マレー語母語話者にとっては「丁寧体」と「普通体」の使い分けが困難なものとなっています。そのことをここで追究し、将来マレーシアの日本語教育にいかしたいと思います。名古屋大学は設備も充実しているし、先生方も大変きめ細やかに指導してくださるので、大変良い環境で研究させてもらっています。また、大学には1000人以上の留学生が在学しているため、様々な国や文化にも触れることができ、まさに国際的な環境と言えます。
 今振り返ると日本での留学生活においては、辛いこともありましたが、楽しいことも数えきれないほどありました。その経験は一つ一つ私の人生の大変貴重な経験になりました。これからも人との関わりを大切にし、研究も頑張って続けていくつもりでいます。私の座右の銘としては「郷に入っては、郷に従え」であり、そのような生き方でいればどんなことでも乗り越えられると信じています。そしてマレーシアに帰ったら日本語だけではなく、日本で学んだ「時間の大切さ」や「勤勉さ」「責任」等についてもなるべく多くのマレーシアの人々に伝えていきたいと思っています。

ジュディ・プレストン(アメリカ) 博士後期課程 日本語教育学講座所属
 ジュディ・プレストンと申します。アメリカのウィスコンシン州から来ました。学部の時にアメリカで日本語教育学を専攻してしばらく高校で日本語を教えていました。そして、名古屋大学の日本言語文化専攻について聞き、最初は自分の教える能力を 高めるために名古屋大学大学院で教授法や日本語の談話分析、教育統計学、日本語文法などを勉強したいと思いました。1999年の10月に名古屋大学大学院国際言語文化研究科の入学試験を受け、2000年4月に日本言語文化専攻・日本語教育学講座に入学しました。博士前期課程1年の時に日本人学生や他の外国人の学生と友達になって授業中積極的にディスカションをし、 日本語教育における様々な問題について話し合うことができました。これが私の「話し言葉の文体」についての研究のきっかけになりました。文体の研究について指導教官や他の先生方にたくさんアドバイスをいただきました。何よりもいいのは、指導は徹底的であるけど、高圧的ではないということです。先生方は自信をもって研究を進めるよう励ましてくださいました。
 M2の時に「アメリカ人日本語学習者の文体に対する日本人母語話者の反応」を調査しました。これによって日本の社会の中には様々なグループがあり、アメリカ人の日 本語を聞いたときにそれぞれ異なる反応を示すこと、グループによって外国人に異なる話し方を期待していることがわかりました。そして、話し相手によって適切な文体を選んで話すことができるような日本語教授法とカリキュラムを考えようという結論に至りました。博士後期課程では、日本語の文体習得に関する研究を行う予定です。

宋 正植(韓国) 博士後期課程 応用言語学講座所属
 応用言語学講座の紹介ということになれば、わが指導教官(近藤教授)担当の「応用言語学概論」についてお話しせざるをえません。
 私なんか、この授業を過去に3度も受講してるんですよ。今年度も受講しています。ですから4度目。飽きないかって? 全然飽きませんね。おもしろいですから。この授業では、最初に発表者(レポーター)の順番が決まります。1学期に最低1回は発表することになっていますので、受講者数によっては、1回の授業で発表者が2人になる場合もあります。逆に受講者数の少ない年度には、発表の順番が何度も回ってくるというわけです。最初の発表者は先生です。先生がまず発表の模範を示し、その後で院生が次々に発表していきます。発表者はそれぞれの研究分野に応じて読みたいと思う論文を取り上げることができます。また、発表者自身の研究を紹介するのも可能です。要するに、発表者自身に役立つものであれば、「なんでも可」ということ。
 まわりを見てみると、みんな自分の研究に追われていて、他人の研究には無関心になりがちです。自分の研究の殻に閉じこもっていると、思考が自己中心的になりがちですよ。殻を破って、関心を共有しあうことが肝心。関心を共有しあうには、「応用言語学概論」はうってつけの授業です。なんと言っても、多用な研究分野、研究方法、研究態度、問題意識に接することができますから。先生は発表者が取りあげようとする論文を1週間前に受け取って、それを読んだ上で授業にのぞまれます。先生は発表者の発表を聞いてから、それに誤解はないか、感想を含めて意見を述べてくださいます。その後は、参加者全員によるフリーディスカッション。授業の最後に発表者は、研究の意義、研究の発展性、研究の方法などについて先生からコメントしてもらいます。 さて、この授業の最大の難点、それは「夜間授業」だということです。腹は減るし、夜道は怖いし。それからもう一つの難点はと言うと、えー、他には何もないように思います。

李 欣怡(台湾) 博士後期課程 応用言語学講座所属
 道草を食う。
 はじめてこの表現を学んだのは、台湾の大学の日本語学科時代でした。授業で日本人の先生にテキスト代わりに紹介されたエッセーから出てきたのですが、残念ながら作者の名前は覚えていません。しかし、当時の新鮮な感動は今でも記憶に残っています。
 そのエッセーは、人生は目標に向かって前進することも大事だが、偶に「道草を食う」ことも必要であると主張するものでした。例えば辞書を引くときに、目的のことば以外に、他のことばの意味や使い方を読むこと も面白いかもしれない、と。道草を食いながら歩む人生は、一直線の人生よりも豊かかもしれない、と。ついつい周りの風景に惹かれてしまう私には、まさに「自己正当化」するのに最高の味方でした。
 高校時代に広告の仕事に憧れ、どちらかというと理系人間の私は、広告学科を受けるために文系の道を選びました。そのせいで(はい、そのせいにしたいのです。)、大学の統一入学試験(日本のセンター試験みたい なもの)で良い成績を出せず、第一志望の某国立大学の広告学科を断念しなければなりませんでした。そこで、「それでは、広告は将来日本で学ぶことにしよう!」と夢をふくらませ、とりあえず日本語学科へ。結局大学を出て、直接に念願の広告代理店に入りました。好きな仕事とは言え、相変わらず道草を食わずにはいられませんでした。広い草原の中で、「残業の後で同僚に日本語を教える」という草も入っていましたしかし,あらいけない! 教えるうちにどんどん興味が出てきて、「昼間のお仕事」よりも達成感があることに気付いてしまいました。そう言えば日本留学も目標だったよね、と思い出し、今度は日本語教師を目指して名古屋大学にやってきたのです。
 研究テーマは広告代理店時代の悩みや疑問からヒントを得たものです。意外なところで仕事をしていた経験が役に立ちました。授業は、研究テーマとの関係よりも、面白そうかどうかで決めましたが、何故かどこかで研究テーマに繋がってきます。何か得したような 気分です。今になって考えてみたら、そもそも何もかも繋がっていたように思えます。われわれは学問の海でイソギンチャクのように触手を長〜く伸ばして、海草であれ微生物であれ、通りかかったすべてのものを捕まえればいいのです。それがいつか必ず栄養分に なってわれわれを成長させてくれるのです。道草って本当は道草ではなく、幼い私たちが目的地に辿りつくための体力をつけてくれる食料のように思えます。
 こんな道草主義の私は、幸いなことに、実に様々なクサがそろっている日言文に入ることができました。ここでは色々なクサの種を蒔いてくれる牧場の管理人たちがいらっしゃるから子馬たちが元気にバランスよく育っていきます。
 目の前の曲がり角に戸惑いを感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、思い切ってそこで曲がってみて、新しい風景を見てみてもいいのではないでしょうか? 人生って未知がいっぱいあるからこそ素晴らしいと思います。この先、まだまだ楽しいことがありそうです。

彭 萱(台湾) 博士前期課程 日本言語文化学講座所属
 大学の日本語学科時代から台湾にて、日本語を勉強し始めて、日本についていろいろなことを学び、知るようになりました。最初は言語の勉強だけでしたが、日本語を勉強するにつれて日本の文化や文学などのほうに惹かれました。大学三年の時に、一度交換留学生として日本で一年間勉強しました。とても充実して楽しい一年間でした。その時に受けた異文化の刺激が原因でもあり、台湾と日本とは深い関係もあるため、それについてますます興味が湧いてきました。大学の卒業論文は日本統治時代の台湾人日本語作家についてでしたが、他にも当時の台湾を描く日本人作家がいた。やはり資料の収集の難しさと、まだ研究され始めたところのため、その時代のことはあんまり論じられていませんでした。次は日本統治時代に台湾にいた日本人作家の研究をしようと考え、日本に留学することに決めました。しかし、同じく日本にとってはそのような作家達は主流ではないので、重視されてなかったし、あんまり知られてないことに気付き、日本にきてから台湾で研究をやったほうがよいのではないかと不安を抱きながら、その不安が研究をやっているうちに消えてしまいました。研究生をやっている間に、入試を準備しながらも先生や先輩の授業を受けてました。研究は実に無限の可能性を持っていることをそのさまざまな授業から気付かせてくれました。そうして、入学試験を受けて、日本言語文化専攻に入りました。
 修士一年の時に、いろいろな授業を受けました。以前触れたことのない分野のものもあるので、大変でした。しかし、自分と完全に無関係に見える授業でも実は、その中からあるヒントを得ることや、研究方法を発見することによって自分の研究に役に立つことがたくさんありました。授業の時にはいつも多国籍の留学生とディスカッションしながら進行しています。それにつれて自分の視野も広がりました。先生方は常に新しい啓発や刺激を与えてくれて、どんな質問でも十分に答えてくれます。知の無限と自分の知らなさすぎることをしみじみと感じています。その反面、もっともっと知りたいという意欲が湧いてくるのもそのおかげです。そうして、いろいろなことを調べていくと、しらずしらずのうちに自然に研究の面白さが分かってくるような気がします。
 日本言語文化専攻は、プレシャーがなく、いろいろな知識や研究の仕方を吸収しながら、自由自在に学習ができ、楽しく自分のしたい研究のできる場所です。

石橋順子 博士後期課程 比較日本文化学講座所属
 3月で修士課程を終え博士課程に進学することになりました。修士課程の2年間は“非常に忙しかった”の一語につきます。専修免許の関係で多くの授業を受講したため体が忙しかったこともありますが、それ以上に新しい学問の世界を知りそこをあちこち探検するのに忙しかったということです。かっこよく言えば「知的探検」に忙しかったと言えるでしょう。というのも私は学部を卒業してからずいぶん時が経っているので何もかもがめずらしかったということもあります。少しプライベートなことをお話しすれば、いまから10年以上も前、夫の転勤に伴い幼い子供とともに4年間ドイツに住みました。そこで大学時代の第2外国語であったドイツ語を学び直しドイツの大学院に入学しましたが、夫の再度の転勤でフランスに住むことになりドイツの大学院はあきらめ、今度は第3外国語であったフランス語を学び直し、フランスの大学院(DEA)に入学しました。しかし4年の滞在の後、日本に帰国となり再び大学院をあきらめました。このときの海外体験は「ドイツの心フランスの心」(中日新聞本社)というエッセーにまとめています。帰国後は高校で英語の教師を続けていましたが、2年前一年発起して本大学大学院の国際言語文化研究科に入学しこのたび懸案の修士課程を卒業することができた次第です。英語の教師をしていた関係で英語の専修免許用の授業も取りましたが、日本言語文化専攻の授業と重なるものがほとんどなく、結果として受講数が増え、修士課程2年目にも3教科がずれこみ、これが修論の作成とあいまってかなり忙しくなった要因です。おかげでさらに視野が広がり充実した2年間になりました。このやり方がよかったかどうかは分かりませんが、両立できないことはないという例にはなったかなと思います。
 さて、修士課程で受講した授業はどれも興味深く知的好奇心を刺激するものでした。とくにコーパスという「電子化された言語資料」に出合ったことは衝撃的でした。文化の講座に属してはいましたが何とかこれを修論にも使ってみたくて冒険も試みました。他にも認知言語論や談話分析などの言語関係の授業も新鮮だったし、漱石など日本の古典や世界情勢などについても議論しました。日言文専攻の学生たちについて言えば、ほとんどの人が2つあるいはそれ以上の文化、言語に精通しています。留学生も多く国籍も多様でその熱心さと日本語の堪能さ、日本語や日本文化への造詣の深さに大いに刺激を受けました。お互いの国の話をしたりお弁当を分け合ったりするのも楽しみの一つでした。文化の違いを知るのも楽しみですが、それ以上に、文化の違いに関わらず真理を求めて切磋琢磨するのはさらに楽しいものです。そういうことができる場がこの研究科には開かれています。今後私自身は博士課程でじっくりと学問の世界が深められればと思っています。

伊藤信博(修了生) 現在国際言語文化研究科留学生担当
 名古屋大学国際言語文化研究科の留学生担当助手の伊藤信博です。私は1998年4月に日本言語文化学を学ぶため日本言語文化専攻に社会人入学致しました。当時、社会人は多元文化専攻も合わせて4人でした。同期は現在1人しか学生としては残っていません。私の専門は日本中世思想史で、当時日本の中世を学ぶ学生は5人ぐらいの文化専攻の先輩を合わせても私一人でした。しかし、現在は4人ぐらいに増えています。
 社会人としてその後の入学者は毎年4人ぐらいずつ増えて行きましたが、なかなか博士課程後期まで、続けて行く学生は少なく、同期の一人しか残っていません。働きながら修士論文を書くことの難しさを同期の人達とよく話しました。学業を途中で止めていった社会人もまた必ず戻ると言っている人達が多いのも事実です。私は幸いなことに、職場や家族の協力があったおかげで、無事修士論文を書き終えることができ、また博士課程後期に順調に進むことができました。後期課程在学中についに転職もしまして、現在名古屋大学で働いているのです。
 日本言語文化専攻に入学して文化を専攻しましたが、一番辛かったことは、基礎的な資料を読む授業がなかったことです。しかしこの問題は、他研究科の授業を受講することで解決できることです。それよりも、教授達の豊かな発想を学び、資料を自分で漁り、他研究科で武者修行をすることで、新しい発想を持った研究ができることがこの研究科の一番の強みだと思います。この研究科には、研究にとって一番重要な新しいイマジネーションがわき溢れています。それを見つけ、研究に活かすのもあなた方の実力次第です。クラスでは学生も社会人学生も留学生も教授も区別がありません。自由闊達に意見が述べられる雰囲気があります。私達は自由な発想を持った粘り強い学生を求めています。勇気と元気がある方、是非寄ってみてください。