初級クラスにおけるティーチャ―トークの観察

高橋圭介

 

 

1.はじめに

 今年度の夏期AET教育実習では、ゼロ初級、初級(既習)、中級の3クラスが開設され、筆者はそのうちの初級クラスを担当した。本レポートでは、初級クラスにおける筆者自身のティーチャ―トークの観察を通して、春の実習で指摘を受けたティーチャ―トークに関する問題点が改善されたのかどうか、また、夏期の実習では新たな問題点としてどのようなものが発見されたのか、という二点について検討する。

 まず、2節では先行研究を参考にして、日本語教育におけるティーチャ―トークの意義について確認し、その上で、本レポートではどのような点に着目するのかを明らかにする。3節では、春期の実習で指摘を受けた問題点を簡単に取り上げる。4節では、夏期の実習におけるティーチャ―トークの観察を行う。5節では、前節で取り上げた問題点以外で、特に気になった点について言及する。

 

2.ティーチャ―トークの意義

 岡崎・長友(1991)は、日本語教育の中でティーチャ―トークが持つ意義として、以下の三点を挙げている。

a.日本語のネイティブスピーカーのインプットを理解可能な形で提供する貴重な場である。

b.日本語のネイティブスピーカーの談話の流れを経験する場である。

c.学習目標として取り上げられる語彙や構文を談話の流れの中で理解し経験する場である。                   

(岡崎・長友(1991)p.242)

 そして、この中でもとりわけ重視されているのがaである。岡崎・長友(1991)は、aの「理解可能」というのは、「ただ分かるというだけでなく、現在到達出来ている言葉の習得の段階よりも「わずかに高い」水準のものという意味である」(p.245)と述べている。つまり、学習者が自分の持っている知識をフル活用し、それに加えて、その場の状況や教師の身振りなどをも利用してちょうど理解できるようなものが望ましいというわけである。

 ティーチャ―トークの意義を以上のようにまとめた上で、岡崎・長友(1991)は「教育実習の初期の過程にある教師の卵によるティーチャート―クにはこのような意義が十分実現されないものとなっているのが普通である」(p.244)と述べ、実習過程初期のティーチャ―トークに見られる特徴として以下の3つを挙げている。

a.ティーチャ―トークを行っている際に相手である学習者を十分観察し、その反応に合わせて話し方や取り上げる内容を調節するという点が不十分であること。

b.全体としてティーチャ―トークとして話している内容を十分学習者が理解できるようにという点での様々な配慮が不足していること。

c.学習目標項目として取り上げる語彙や構文を自然な談話の中に織り込むための配慮が不十分であること。

(岡崎・長友(1991)p.244)

 この3つのうち、本レポートで取り上げる問題点と密接に関わっているのがbである。aに関しては、筆者が担当した初級クラスは人数も少なかった(1人か2人)こともあって、常に学習者の反応を見ながら授業を進めることができていたと思われる(但し、学習者の反応に十分応じることができていたとは必ずしも言えない。つまり、aの記述の後半部分(注1)に関しては不十分であったということになる)。また、cに関しても、十分とは言えないものの、実習の後半では、授業の合間などに既習項目を含んだ自然な発話を確認することができた。しかしながら、bに関しては、さまざまな点において不十分であったように思われる。

 本レポートでは、bに関連する問題点として、@「学習者の質問に対して適切に対応できていたか」、A「学習者に対する指示(主に練習の仕方に関する指示)は適切であったか」という二点を取り上げる。この二つは、いずれも、学習者が英語のネイティブスピーカーでありながら筆者自身は英語を十分に運用することができないという事情と深く関わっている。つまり、英語をある程度使用できるのであれば、@やAのような状況において、最終的な説明手段として英語を用いるということができるが、筆者にはそれが不可能であるという点で、@とAはスムーズな授業展開を妨げる可能性が高い状況であると言える。筆者自身、このような場面において、どのような解決策をとっていたのかを客観的に観察するのが、本レポートの最も重要な課題である。ちなみに、@は春の実習で、Aは夏の実習でそれぞれ問題になった点なので、まずは次節で@を取り上げ、春の実習における問題点を簡単に見ることにする。

 

3.春の実習における問題点 ―「学習者の質問に対して適切に対応できていたか」―

 まずは、春の実習で学習者から質問があった場合、もしくは学習者が間違ったりなどして適切な答えを要求していると思われる場面において、筆者がどのように対応していたかについて例を挙げながら見ていく。

 最初に、媒介語を用いる代わりにジェスチャーで何とか説明し、ある程度うまくいった例を挙げる(尚、例文中のTとSは、それぞれ教師と学習者を指す)。

 

1)(問題の中の「うーん」という表現が分からないという状況で)

 T:「うーん」は(うなずきながら)「うん」じゃないですね。(腕を組んで考え込んでいるジェスチャーをしながら)「うーん」ですね、はい。

2)(「置く」という動詞を学習者が知らないという状況で)

 T:置く、えーと、(筆入れを机の上に置くジェスチャーを入れて)置く。

 S:あー、put。

 

 次は、媒介語ではなく日本語の別の表現で言い換えた結果、ある程度うまく行った例である。

 

3)S:レタスって何ですか。

   T:レタスは、えーと、野菜の種類です。

   S:あー。

4)T:先生は大きいテーブルをドアの右に置きたいです。

   S:置きたいって何ですか。

   T:置きたい、えーと、なになにしたい。

   S:want?

 T:want、はい、置きたいです。

 

3)は、「野菜」という、学習者がおそらくすでに知っている語を挙げることにより、レタスがどのようなものかを説明している。この場合、これだけで学習者が理解したということは、学習者があらかじめレタスについての知識を持っていたことが予想される。ただ日本語でその指示物を「レタス」と言い表すことについて十分に慣れていなかったということであろう。一方、(4)は「置きたい」が「置き+たい」であることがわからなかったことによると思われる(実際、「置きたい」と「大きい」を混同している学習者もいた)。ここでは「〜したい」という形で、願望を表す形式が後接されていることを示すことによって、学習者の理解を得ることができた。

 以上のように、春の実習では基本的には英語をまったく使わないという方針で行った。これは筆者自身、英語を使ってはいけないという思い込みがかなり強かったことの表れだと言える。

上に挙げた例では、英語を用いない形である程度の説明ができた場合であるが、英語を用いなかったためにうまくいかなかった場面もある。例えば、「〜てしまう」の説明をしたときに、筆者は「失敗」したことを表すといった主旨の説明を行ったが、学習者は「失敗」という日本語を知らず、そこですかさず「ミスする」と言い換えたところ、これまた学習者には理解できない表現(「ミスする」は日本語の言い方で、英語ではmistakeと言わなければ通じないということである)で、泥沼にはまったということがあった。このような場合には無理せず、教科書などにある英語による説明を利用した方がスムーズに授業が進むわけである。

確かに、できる限り媒介語を使わず日本語で通すことは、ティーチャ―トークの意義にかなうものであるが、それによって生じるさまざまな負担もある。例えば、(2)の場面でも、最終的にジェスチャーで理解してもらうまでには、それなりの時間がかかっている。学習者が知らないであろうと予想される語句についてはあらかじめ英訳を用意しておくことにより、このような時間の浪費を抑えることができる。(2)や(4)で、学習者が最終的に英語で意味を確認していることからもわかるように、学習者は初級段階では英語によって語の意味を理解していることが多いようであり、このような事情を考えると、語句レベルの説明に関しては、最初から英訳を与えた方がよい場合もあると思われる。

 

4.夏の実習におけるティーチャ―トークの観察

 前節では春の実習における問題点に触れた。本節では、まず4.1で、春の実習の問題点がどのように改善されたのかを見る。続いて4.2では、夏の実習で新たに見出された問題点について取り上げる。

 

.1.夏の実習では「学習者の質問に対して適切に対応できていたか」

 夏の実習では、春の教訓を活かし、語句のレベルに関しては教科書に書いてある英訳をフルに活用するという方針をとった。これは学習者が英語の母語話者であることが事前にわかっており、それに加えて初級レベルであることから、必然的にとられるべき対策であると思われる。その結果、学習者が語句の意味に引っかかって授業がスムーズに進まないという事態をかなりの程度未然に防ぐことができたように思う。

 また、教科書に載っていない語句に関しても、学習者が知らないと思われるものについては、できる限り対訳を用意した。このような準備が実際に役に立った事例には以下のようなものがある(いずれも簡単な単語ではあるが、「ミスする」で失敗したこともあり、本当に適切なのかどうか不安だったので、簡単な語でも辞書などを参考にして適切な訳語を用意した)。

 

5)注文 → orderと板書

6)会議室 → meeting room

7)T:一つ目、二つ目、三つ目、・・・

   S:目は何ですか。

   →first、second、thirdと板書

8)道 → street

 

 また、文法説明に関しても、(単語レベルではあるが)英語を用いることにより、不必要な混乱を招かずに済んだ。例えば、「のだ」を、「理由(reason)」を言うときに使う表現であると説明することで、学習者の理解を得ることができた。

 一方、実際に教室で行うことができる動作に関しては、ジェスチャーが有効であることもわかった。

 

9)「曲がります」→机のかどを実際に曲がってみせて→S:turn?

                          T:うん、turn。

10)S:つけるは何ですか。

   (Tが実際に電気やエアコンをつける動作をしてみせて)

   S:turn on?

   T:うん。

 

 このように、夏の実習では、完全とはいかないまでも、春の実習に比べて授業の進行がかなりの程度円滑になったのではないかと思われる。

 

.2.新たな問題点 ―「学習者に対する指示が適切であったか」―

 本節では、夏の実習で新たに見出されたティーチャ―トークに関する問題点として、「学習者に対する指示」を取り上げる。ここでの「学習者に対する指示」とは、学習者に対する練習の仕方などに関する指示(注2)のことである。

 夏の実習では、学習者に対する指示のうち、特にインフォメーションギャップをつくる際の指示(説明)に問題があった。以下の事例は、それが何なのかが学習者と教師のどちらか一方しかわからないという状況をつくり(注3)、相手が知っているもの(自分が知らないもの)について「それは何ですか」のように、指示詞を用いて聞くという練習の説明である。

 

11)T:×××さんは(TがSのプリントに書いてある絵を指さして)わかります、わかります。で、私は、私は(同じくTがSのプリントに書いてある絵を指さして)わかりません。

(中略)

   T:もしわからなかったら、聞いてください。(ホワイトボードに書いてある指示詞を指さして)これを使って聞いてください。2番わかりません。聞いてください。

   S:これはヘットです。ハ、ハットです。

   T:うーん、あのー・・・。

 

 この例は、一方がわかっていてもう一方がわかっていないという状況を学習者に理解させることができなかったケースである。学習者は、この状況では一応知らないことになっているものについて、「それは何ですか」と聞かずに、いきなり「これは〜です」と答えてしまっている。これは、用意したプリントの作り方が悪かったことに理由があると思われる(後述するが、ティーチャートークに関しても問題があると思われる)。ここで用いたプリントには、学習者と教師両方のプリントにはっきりと絵が書いてある。筆者は、簡単な語(例えば帽子や自転車)であるにもかかわらず、学習者がそれらの語をしっかり覚えていないと思い込み、「一方は絵だけを示し、もう一方は絵と名前を示した」だけでインフォメーションギャップがあると見なしてしまった。しかし、学習者は、そこに示したものの名前は大体知っており、その結果、わざわざ「それは何ですか」と聞かずに、いきなり「これは〜です」と答えてしまったのではないかと思われる(これには、教師がはじめに言った「もしわからなかったら聞いてください」という不用意な発言も、もしかしたら関わっているかもしれない)。プリントの絵をシルエットのようなものにするなど、もう少し教材に工夫すればよかったのかもしれない。ここでの練習は、このあとも練習の主旨が学習者に十分理解されないまま最後まで行ってしまった。

 次の例も、上で見たケースと同様のものである。

 

12)T:1番と2番は、×××さん、わかりません。聞いてください。

   S:あれは、とうざいのだいがく、だいがく、だいがくです。

   T:聞いてください。あれは何ですか。

   S:あれは何ですか。

   T:うん、あれは東西大学です。

 

12)は、二人が一緒に同じ建物を見ているという状況で、一方がもう一方に「あれは何ですか」と聞き、もう一方の人が「あれは〜です」と答える練習である(この練習でも、(11)の練習と同様、両者のプリントに絵を示し、名前に関してのみギャップをつくった)。ここでもやはり、学習者に指示が理解されておらず、学習者は絵の建物に書いてある「Tozai University」という文字をそのまま読んでしまった。しかし、ここではその後の「聞いてください」がきっかけとなり、3番目(3問目)以降はこちらが意図したとおりの練習ができた。

 上で見てきた二つの事例からは、インフォメーションギャップを用いた練習を行う際、(用意したプリントの不備もあると思われるが)「(教師が自分を指して)わかります。(学習者を指して)わかりません。聞いてください」というティーチャ―トークでは、こちらの意図が十分に伝わらないことがわかる。このように、ある状況を仮定しなければならないような練習では、状況説明が問題になると言える。特に初級では無理に話し言葉で説明せず、あらかじめプリントに英語などで説明書きをしておくというのも一つの手だが、ここで取り上げたケースに関しては、ティーチャ―トークとプリントの工夫で何とか解決できる範囲のものであると思われるので、ティーチャ―トークを含めた教師の指示の仕方にさらなる改善が必要であると言える。

 但し、同じようなティーチャ―トークであっても、同一の学習者に対して何度も繰り返し、routine化することによって、意図が理解されるようになることもある。以下の(13)は、インフォメーションギャップを用いた練習をすでに何度か行っていたため、教師側の意図がシンプルなティーチャ―トークのみで学習者に伝わっている例である。

 

13)T:(自分を指して)わかります。(学習者を指して)わかりません。聞いてください。

    S:あー、OK。かさはいくらですか。

    T:えーと、かさは1000円です。

 

経験の浅い教師の場合は、このように約束事として決めておくのも、授業を円滑に進める一つの手立てであると思われる。

 

5.その他の問題点

 上で指摘した問題点以外に気になった特徴としては、学習者の理解を確かめるために、やたらと「わかりますか(わかりましたか)」を連発しているという点である。宮地・田中(1988)も述べるように、「ある学習項目を学習者がきちんと身に付けたかどうかは学習者の反応を教員がしっかり見ていれば十分にわかるものである」(p.96)ため、このような発話は余分なティーチャ―トークということになる。また、これに類似する特徴として、学習者に対して「難しいですか」と言葉に出して聞くことが多いという点が挙げられる。これも、むずかしいかどうかは学習者の反応を見て教師が判断すればいいことであり、余計な発話であると言える。

 

6.おわりに

 以上、本レポートでは、教育実習における筆者自身のティーチャ―トークを観察することにより、さまざまな問題点を発見、指摘した。今後はここで見出された問題点をいかに解消していくのかを考えなければならない。

 また、本レポートにおける「学習者の質問に対して適切に対応できていたか」「学習者に対する指示が適切であったか」といった問題設定は、ティーチャ―トークの意義である「理解可能なインプット」、すなわち学習者の能力よりもわずかに高い水準のティーチャ―トークにより、ティーチャ―トークそのものが学習に有益なものになるといったこととはまだまだ距離があるものである(宮地・田中(1988)も、注(2)で挙げた1)、2)3)のコミュニケーションをできるだけ少なくし、4)の真のコミュニケーションをできるだけ多くすることが理想であると述べている)。今後は、さらにもう一段階上のティーチャ―トークを視野に入れ、改善を重ねていく必要がある。

 

(注)

1)この点はbで述べられていることと実質的には同じであると思われる。

2)宮地・田中(1988)は学習者との教室内コミュニケーションを以下の4つに分類している。

1)  学習者に学習のしかた、練習のしかたなどを理解させるための、教員から学習者への指示のコミュニケーション。

2)  学習者の学習の成果に対する評価のための、教員から学習者へのコミュニケーション。

3)  主として練習のための擬似コミュニケーション。

4)  学習者と教員の、あるいは学習者同士の真のコミュニケーション。

(宮地・田中(1988)p.95)

 ここでの「学習者に対する指示」とは、上の4つのうちの1)指示のコミュニケーションに相当すると思われる。

 

3)もちろん学習者同士でもよいが、この授業では学習者が一人しかいなかったため、学習者と教師との練習になった。

 

(引用文献)

岡崎敏雄・長友和彦(1991)「日本語教育におけるティーチャ―トーク ―ティーチャ―トークの質的向上に向けて―」 『広島大学教育学部紀要』第2部 第39号 pp.241-248

宮地裕・田中望(1988)『日本語教授法』 日本放送出版協会

 

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