実習とチームティーチング

吉金卓哉


0. はじめに

 日本言語文化専攻における日本語教育実習プログラムは春季実習、前期授業、夏季実習という流れで行われているが、その中でも夏季のAET実習はプログラム全体の集大成的位置づけがなされていると言って良い。

 実際一連の実習を終えてみて(終えたからなおさら感じるのかも知れないが)夏季実習はコースの全てを実習生全員で1から作っていくものであったという性格上、一連の実習のなかでは時間的にも内容的にも大きなウェイトを占めていたように感じられる。(注)

 そのようななかで、今回大きな問題となり、活発な議論がなされ、解決に時間がかかり、その解決の仕方にも違和感が残った、というテーマがあった。それは、アクティビティについてである。アクティビティの扱いをどうするかということを実習生全員で決めていくことを通して、筆者を含む実習生は多くのことを学んだ。つまりアクティビティの一件はそういったものを考えさせてくれるきっかけとなった。本レポートではアクティビティの扱い方を述べるものではなく、そのとき起こった話し合いを通して筆者が気づいたこと、これからの実習に参考になるのではないかと考えるところを述べるものである。

 

 アクティビティとは何を指して言うことなのか。昨年度の実習報告書をみると、初級クラスが8日間の実習のうち2日間、午後に時間をとって買い物やレストランでの注文のロールプレイなどを行っており、これをアクティビティと言っている(8日間通して授業はこのアクティビティ以外は午前中に行われている)。なお他のクラスでは午後のアクティビティは行っていない(ただし午前中の授業のなかでロールプレイは行われている)。

 このことから、昨年度の実習におけるアクティビティとは、午前中の授業とは別の実践的活動ということができ、またこれを実施するか否かはクラスの方針で決められていることがわかる。

 本年度も昨年度をはじめとする先輩方の報告書を参考にし、どのようなコース、シラバスをデザインするか話し合われ、このアクティビティも取り入れるかどうか、取り入れるとすればどのように取り入れるか、などについて話し合われた。

 意見としては、昨年と同様、1日か2日、午後に時間をとってアクティビティを取り入れた方がいいという意見と、取り入れなくても良いという意見、それからどちらでも構わないという意見に分かれた。賛成派は、今回の実習は実際の現場ではなかなかできないことを試す機会ととらえ、昨年よりも更に飛躍して教室の外で実際にレストランや郵便局に入って用事をさせるなどもできればしたいと提案した。一方反対派は実際の現場の教師がするべき教室作業を実践する場ととらえ、午後に教室外へ出て実際に何かをするよりも、午前中の授業を準備も含めてしっかりやる方が大切であるという意見であった。また、実際に郵便局や喫茶店などへ行って用を足すということは、日本に住んでいる以上経験することであるから、それがスムーズにできるように教室内で授業をするのが日本語教師がするべきことであるという意見も出た。

 それに対し賛成派は、実際に用事を足すときにはひとことで、また英語で済んでしまうことも多いことを挙げた。また、授業で練習してもそれには限界があり、実際に日本語が通じる実感を覚えることが重要であるとことを主張した。そのとき教師が付き添っていればその場でフォローができるということもメリットであるとした。

 妥協案として、アクティビティをしたい人がすることにするという案も出たが、多くの学習者を教室外でごく少数の実習生がまとめることは困難であるし、なによりチームティーチングであること、つまり全員が実習全体に対して共通認識を持つことができなくなるため、やりたい人だけというのはどうか、という意見が出された。

 時間をかけて話し合いが行われたが、結果的に賛成派と反対派で意見が平行線をたどり、またどちらでも構わないという意見も含め全員で行わなければ意味がないという見解が多数を占めたため、午後にアクティビティを行うことは今回見送られることになった。

 

 このようにしてアクティビティの扱い方が決まったわけであるが、こういった扱い方などをチームで取り決める際にポイントとなる点を以下に挙げ、それらについて述べていきたいと思う。

 

1. 実習におけるチームティーチング

1.1 アクティビティをどう位置づけるか

 扱い方をめぐって長時間の議論がなされたということはすなわち、実習生の間でアクティビティをどのように扱えば良いか、また扱うべきか、あるいは扱いたいか、といった意見に食い違いが見られたということである。全員で実施するつもりでいた者、アクティビティはするかもしれないができればやりたくないと思っていた者、みんなの意見に従おうと思っていた者と、認識の仕方も強さもさまざまであろうが、まず第一に、アクティビティをどのような位置づけにするのかについて、共通認識を得る必要があったと思われる。つまり、アクティビティをコース全体のカリキュラムとして位置づけるのか(この場合少なくとも全員がアクティビティに関しての情報を共有し、できれば行動を共にする必要があるだろう)、それともクラスごとの方針にまかせるようにするのか、個人の裁量にまかせるものとするのかを決めるのである。今回は、アクティビティの位置づけということを意識せずに議論が行われ、その結果やりたい人で、あるいはクラスごとで実施するという選択肢の入り込む余地をなくしてしまった。(この議論の時、クラス分けは行われておらず、クラス単位という認識が薄かったことも反省点として挙げられる。)

 チームティーチングを行う場合、どこまでをチームで統一するか、どこまでを実習生個人に任せるかということについては、チームごとに、そしてさらに問題ごとに違うということを実習生全員が認識しなければならない。今回アクティビティをどう扱うか決めていく際には、チームで意見を統一させて行動していくか、それとも、やりたい人だけがやれるようにするかが、選択肢として成立していなかった。つまりお互いに自分の意見を唯一絶対だと思いこみ、相手の意見を意見として認めていなかったのである。

 今回のアクティビティ賛成派に言えることは、チームティーチングといえども、全てについて全員で行動するのは限界があり、またそれをチームティーチングの理想形とするのも問題がある、ということであろう。実習生個人に任されて良いものもあるし、チームで統一することを最小限に抑えるということも、チームをうまく保っていく要素であるかもしれない。その意味では、やりたい人がやるという選択肢を認め、尊重するべきであろう。

 一方アクティビティ反対派に言えることは、チームである以上、制約はつくであろうし、それに沿って行動する道もチームティーチングには必要な要素だということである。「やりたい人がやる」ということは裏返せば「必要を感じない人はやらなくて良い」ということであるが、アクティビティが本当に必要のないものかどうかは、実施しないと分からないところもある。何に関しても「しない」ということは得るものを1つ減らすことにもなりかねない。無駄なことを無駄と分かること、無駄と思われたことの中から有効なものを得ることが実習の意味なのかもしれないのである。

1.2 チームで検討すること

 時間を費やし全員が悩み議論されたアクティビティであったが、扱い方について全員で検討し、答えを出した点は多いに評価できると思われる。今回この他に大きな問題となったテーマはなかったが、どのテーマが議論の対象になるかは、その時々で異なるし、あらゆるテーマにおいて議論になる可能性はあるだろう。逆に、扱い方やスタンスの取り方といったものが検討されずに無意識のまま過ぎてしまうことは実習から得られることを減らしてしまう恐れがあるかもしれない。

 夏期実習はその性格上、日程を始めとする多くの決めなければならないことが存在する。したがって全員で決めなければならない事項に目が向けられてしまうあまり、全員できめるか一人で任されるものか揺れるものには今回のように議論にならない限り目が向けられない嫌いがある。例えば模擬実習をするかどうか、反省会をどのように持つか、教案のレイアウトや進行の仕方、板書の仕方はどの程度統一するか、使う副教材は、授業の時の学習者や先生(チームメイト)の名前の呼び方は、授業観察は全員でするのか、等々、今回全員でどうするかを話し合う機会は持たれなかった。媒介語をどうするか、始めや終わりの挨拶はどうするかなどということは話されたものの、やはりそれだけでは不十分であったという感は拭えない。教科書を再編集したことによって時間がなくなってしまったこともあるが、少なくとも授業そのものに直接関わる事項については全員で検討する機会を持つ必要があったのではないだろうか。

1.3 客観的評価の必要性

 それから間違えないようにしなければならないが、あるものについて全員で統一した行動をとらず、個人に任せるということで決まった場合でも、その任されたものについては皆で検討したり評価したりすることは実習の場合必要不可欠ということである。

 確かに個人に任されたものが個人内で全て処理されるのは実際の現場にはよくあることかもしれない。、チームで1クラスを教えていても教え方は個人に任されているだろうし、チーム内でどの程度の統一がなされているか、また授業研究がどの程度頻繁にされているかは定かではないが、そういったことが非常に頻繁に行われているということは少ないかもしれない。事実その少なさを反省する声も上がっているし、自己研鑽、自己向上のためのシステムが提案されているのも、そのようなことを裏付けるものであろう。

 しかし、実習ではそれら個人で任されたものがそのままになってはならない。現場で行われていることの真似事をしてもそれは実習ではないのである。少なくとも現場の教師は自分の責任で行ったことに関しては自身で評価できるが、実習生はその評価が客観的にできない存在である。運転に例えれば、片手運転をしても、免許を持っているドライバーとそうでないドライバーではその意味が違ってくるのと同じである。自分自身で評価できるようになるために実習をするわけであるから、その期間に他の人からの評価が入らないことは非常に危険である。アクティビティに限らず、教案や授業そのものについてもチームメイトや指導の先生から評価を受けることは不可欠なことであろう。

 評価者としては、今述べたチームメイトと先生方、そして自分自身という三者が考えられるが、岡崎(1991)はこの三者から評価を受けることに対しては長所も短所もあるので、必要に応じて組み合わせることができることが望ましいという。今回の実習の場合、自分とチームメイトの評価を得られるわけであるが、これに加えて先生方によるトップダウンの評価があれば、自己満足性が克服され、より客観的な評価が得られることになると思われる。

 

2. 授業に関するビリーフ

 今回アクティビティが議論の対象になった背景には、アクティビティをどのようにとらえるかということに関して見解の相違があったからというのは先にも述べたとおりであるが、どのようにとらえるかという「とらえ方」をビリーフと言うことばで表現するとすれば、今回の実習ではチームティーチングやアクティビティなどに対する実習生のビリーフが大きく異なっていたと言い換えることができる。

 つまりチームティーチングについては、

全ての行程について、チーム全体で共通認識を持ち、その中で自分の役割は何かを考えて行動する

 というようなビリーフと、

必要なところは統一見解として持ちつつ、実習生は自分の目標としていることを実践する

 というようなビリーフが意見の相違を招いたと推測される。

 またアクティビティに関しては、

カリキュラムの一部としてとらえるべき

というようなビリーフと、

アクティビティはオプション的扱いで、必要性のある人が個人的に行えばよい

というようなビリーフがあったと思われる。これは授業に関するビリーフの一部と考えても良いだろう。すなわち、

授業は教室内でできるだけ実践の機会に役立つために練習やタスクをし、効率よく日本語を教えることである

というようなビリーフや、

授業は教室内で行われるものとは限らない。また効率の善し悪しは詰め込んだ量だけではなく、実際に日本語を覚え、使えるための手助けになっているかどうかで決まる

というようなビリーフが背後にあり、それがアクティビティに対する考え方に大きな影響を及ぼしたと考えられる。

 

 原点に立ち返れば、実習そのものについても先に述べたとおり、

 実際現場では実現しにくい画期的な方法(例えば教室外活動など)に積極的に挑戦できる場

とするか、

 現場で実際に行われている体制のもとでの指導の方法や技術をしっかり身につけ、現場で教壇に立ったときに素早く効果を発揮するための準備をする機会

とするかによって、進めていく方向はかなり変わってくるであろう。

 いずれにしても実習の段階において実習生はより多くのビリーフの存在に気づくことが大切だと思われる。実習を含め日本語教育を始めて間もない時期に形成されたビリーフ(三井・丸山(1991)は原初ビリーフと呼んでいる)は、今後教育活動を行う上での考え方の核となる場合が多く、その後の教育に多大な影響を及ぼすと考えられている。そのような時期にはさまざまなビリーフを見、「こういったこともありなのだ」ということに気づくことによって、無意識的に絶対肯定化されがちな自分のビリーフをその危機から救わなくてはならないだろう。そのためには、チームメイトとは必要最低限のつき合いをするよりも、多くの時間を共有したり、時には直接授業とは関わりのないようにみえる(例えば今回の実習への意気込みや、どのようなスタンスで、何を得ようとしているのかなど)話し合いをすることも必要だと思われる。教師同士の連携が円滑に行われていなければ、学習者に良い影響を与えるとは考えられにくいのである。

 

3. 問題解決の方法

 アクティビティの問題を解決する仕方も、今回この問題を大きくした一つの要因ではないかと思われる。多数決が行われる前に、賛成反対それぞれの意見を聞くわけだが、アクティビティにはどうしても反対という意見があり、全員で行いたいという意見はその意見を前にしてはどうすることもできなかった、というのが実際のところである。従って全員で実施する事に意味があるとした賛成派は、全員で実施しないというところで見解を一致させた。決定に不透明な部分はないのであるが、賛成多数であったのが、結果として実施しないことになり、そこに違和感は残された。

 この一連の解決方法での問題として以下のようなことが挙げられる。

a) 長時間話し合われたため、客観的に意見をとらえられなくなっていた。

b) かなり大きな議論になったが、欠席した実習生を含めずに決を採った。

c) 学習者にとって何がより良い方法なのかをもっと検討するべきだった。

d) 最終的な採択方法をあらかじめ確認しておく

 aについては、実習までの日程も迫ってきており、早期解決が望まれていたので一概には言えないが、冷静に判断するためには日を置くことも必要なときもあると思われる。

 bに関しても、欠席者は全権を委任するということであらかじめ了承していたが、議論の大小に関わらずそう取り決めたことに関して疑問が残るところではある。

 cは学習者ニーズが直前までつかめないこともあってこちらの憶測で判断してしまう結果となり、結局実習生が実施したいかする必要がないかの議論になってしまった嫌いがある。打開案としては、昨年までの実習報告書を読み返すことなどが考えられると思うが、いずれにしても学習者のことを優先的に考えたコースデザインをすることを常に忘れてはならないだろう。

 dについては、bも考慮に入れながら全員が共通の認識を持つことが必要であろう。誤解を招かないようにつけ加えるが、今回も決は多数決で採っており、その点では共通認識は得られている。結果的にはアクティビティ反対派のプレゼンテーションが賛成派に勝ったということであって、そこに不透明な部分はないのである。

 

 アクティビティの扱い方を決める一連の過程を通して、チームティーチングという観点でポイントとなる部分をいくつか挙げてきたわけだが、忘れてはならないのは、こうして決まった結果、どのようなことが得られ、どのようなことが得られなかったかということを総括する時間を持つことが実習における最重要事項ということである。実習をするとき、諸々の決めごとや、あるいは教案や教具などを作ることに目が行きがちで、決めたことや作ったものがどう活かされたか、また活かされなかったか、またそれは何故か、ということが通り一遍で終わってしまいがちである。斉藤・今尾他(1991)が提案するように、実習はまず1回目の実習後、反省と目標の修正が行われ、そして次の教壇実習と移行する、すなわち反省が次に活かされるようなプロセスで進められなければならない。その意味では、実習中、実習後の総括にこそ実習の重要性を見いださなくてはならないだろう。いわゆる「やりっぱなし」を防止するために、早い段階から反省をどのような形で行うかということに関してもチーム内で十分検討する必要があろう。やらなければ進まないこと以上に、やらなければ済んでいってしまうことに価値をおいて実習に臨むことが実習を有意義にさせる重要なポイントではないだろうか。

 

(注)

 夏季実習のようにコースやシラバスを話し合って自由に決めたり、教科書なども何をどのように使うかなど、その一切を教師に任されることが実際の現場でどの程度あるのかはわからない。春季実習のように使用する教科書もほぼ決められていたり、ある先輩とペアになって授業を担当することや、自分の受け持つ課が予め決まっているような中での実習の方がもしかすると現場に近いやり方なのかもしれない。いずれにしても、実習生が認識するべきことは、夏季実習に充実感を感じるあまり、春季実習について印象が薄くなったり意味を見いだせなくなることがあってはならない、ということである。

 確かに夏季実習は作業が多く、実際大変であった。また現在から近い過去であるので記憶が鮮明に残りやすい。

 しかし夏季実習は春季実習なくしては成功しないことや、春季実習は先輩や見学させていただいた先生方など多くの方々の協力やアドバイスを得て行われていること、また春季実習は前期の授業でビデオ観察があり、全員で意見を出したり反省をしているところなど、むしろ春季実習が実習生にとって有効である部分も多いということを忘れてはならない。量的な充足感で判断するのではなく、実習としてどのような意味があったかで判断することが必要とされる。

 残念ながら、春季実習と夏季実習は別物になってしまうケースが毎年見られている。春季実習で反省した点を夏季で活かしたりすることがあまり見られない。夏季の実習の際に春季の実習で作成した教案や撮ったビデオ、或いは前期の授業で話し合われたことを参照する過程の必要性を認識し、個人的に或いは必要であれば全体でそのような過程を設けることを筆者は提案したい。

 

文献

岡崎敏雄(1991)「教授能力向上の捉え方」『自己評価、自己研修システムの開発をめざして』文部省科学研究費補助金研究、「日本語教師の教授能力に関する評価・測定法の開発研究」報告書pp.4-17

斉藤令子・今尾ゆき子・稲葉みどり・田中京子・出口香(1991)「日本語教育実習への提言−実習経験を踏まえて−」『日本語教育』76号pp.55-56

名古屋大学大学院文学研究科日本言語文化専攻(1997)『1996年度日本語教育実習報告』

名古屋大学大学院文学研究科日本言語文化専攻(1998)『1997年度日本語教育実習報告』

三井豊子・丸山啓介(1991)「自己評価システムの試み」『自己評価、自己研修システムの開発をめざして』文部省科学研究費補助金研究、「日本語教師の教授能力に関する評価・測定法の開発研究」報告書pp.62-81


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名古屋大学大学院文学研究科 日本言語文化専攻